アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

新型コロナウイルス感染症になった その2

ここからは時間との戦いである。

さて、前回で陽性が判明した私。絶対に家族にうつせない戦いがここから始まる。

実は家には手術を1ヶ月前に終えて治療中の家族がいたのだ。正直他の家族にうつってもピンピンしてそうだが、抵抗力のない家族には絶対にうつしたくなかった。

8月30日昼過ぎ

14時前に陽性者登録の完了メールが来る。保健所からマイハーシスのメールも来る。東京都の宿泊療養の申し込みができるようになったため、14時半ごろに宿泊療養の申し込みを始める。15時ごろ問診のような質問の電話がくる。もう熱が下がってきているため、自分の現在の状況等もはっきりと答えることができた。
問診の電話後に父から連絡が入る。宿泊療養の申し込みをしてくれとの連絡だった。
もう申し込み済みである。父には申し訳ないが、父よりもかなりフットワークは軽いのである。

8月30日夕方

申し込みをしてどっと疲れたのか少し眠ってしまう。18時ごろ電話がなって出ると、明日から宿泊療養に入れるとのことだった。西新宿五丁目のアパホテルに1週間お世話になることになった。5月に行った帯広旅行から使っていなかったスーツケースを出す。適当に荷物を詰めていくが不安でどんどん荷物が増えていく。
家族が帰宅して、ざわざわとリビングでしている様子が気配で分かった。
夜ご飯を食べ、準備をしつつ眠ってしまった。

8月31日朝

濃厚接触者の家族は1人は毎日の抗原検査で出勤ができ、1人は自宅待機となった。買い物は不要不急ではないため自宅待機の家族に必要になりそうなものをメモに書き、買い物に出てもらった。お菓子や日用品、果物など私にとって必要なものを全て買い揃えてもらった。昨日の夜の時点でAmazonでも頼んだものがあり、それも届き荷物ができた。


8月31日昼

昼頃に連絡があり14時半ごろにタクシーでお迎えに来てくれるとのこと。西新宿までかなりの距離があるがタクシーで運んで貰えることに感謝である。
自分で素麺を茹で、茹でてある肉を乗せて宿泊療養前最後の食事をする。なんだか味が薄ぼんやりしている。そんな時もあるかと思っていたが今となっては完全に味覚と嗅覚障害であった。
絶対に療養中には食べられないであろうシャーベットをボリボリと食べ1週間ばかりアイスと別れを告げる。


8月31日14時半

お迎えの時間が来た。直前になって薬が足りないだろうということで取りに行くなどしてタクシーを待たせる。相乗りだったため、他の人に迷惑をかける。相乗りの方の荷物を見て、愕然とする。家族にお前荷物多いなと言われる。
わたしは一応適応障害で不安になったらすぐにパニックだから荷物が多いことを分かっていないのかと思う。
タクシーが自宅から離れていく。流れていく景色を見つめて、不安と若干のワクワク感で胸を膨らませてホテルに向かった。1週間の隔離生活が始まる。


8月31日15時

ホテルに到着する。血圧を測り、お茶をもらい自分の部屋まで向かう。荷物が多いかつ部屋が遠かったため、ヘトヘトになる。看護師さんからの問診を受け1週間の滞在なのだなぁとあらためて感じる。パルスオキシメーターで心拍数を測るが、心拍数が高いですと言われ続ける。ついたばかりのホテル、電話での問診という慣れない状況に緊張してるんだから当たり前であると冷静につっこんでしまった。
そして、問診後に気がついてしまったマイナートラブルにより、部屋移動となる。落ち着く暇もなかった。ヘトヘトになりながらまた大荷物を持って移動する。シングルの部屋ではあるが、ベッドがセミダブルで普段の部屋よりよっぽど快適である。寝ながらテレビを見られる。そして、持参したSwitchをテレビに繋げたり、ミラーリングを使って動画を見たりと早くもエンジョイし始める。もう解熱して1日経ち味覚と嗅覚、鼻水以外は元気なのだ。


8月31日18時

部屋を移動しいろいろ準備をして、着替えてホッとしているとあっという間に夕食の時間である。放送が流れる。食事が楽しみであり同時に食事が一番の鬼門であった。放送と同時に部屋を出るとロビーには人がたくさんいて人酔いをしながらもお弁当を手に取る。


見た瞬間にこれなら食べられるぞ!となった。
レンジもあり、温めることができた。普通にお米が美味しい。それだけで私の幸福度は上がっていた。そしてペットボトルのお水は飲み放題とのことで、3本部屋に持っていく。水が飲み放題のため、ペットボトルにお茶パックを入れて水出しをして飲むことにした。緑茶や野菜ジュースもあったのだが、飲み慣れていないためなるべく飲み慣れたものを飲みたいと思った。精神衛生上もそれがよかったようだ。

8月31日22時

ご飯を食べ、お風呂に入り、テレビを見てゆったりと過ごしていた。そして洗濯をしようとした。まぁ、大変だった。浴槽に水を溜めてつけ置き洗いをしたが、濯ぐのが辛いのだ。1回1回絞って濯ごうとしたことが悪かったのだが、体力を根こそぎ持っていかれているような気がした。疲れてしまう。全て干し終わるまでに1時間。絞ってすすぐを繰り返して握力が消えていき、弱くなっていたためほぼ絞れてない状態になる。先が思いやられる。洗濯機の偉大さを知って、洗濯機に感謝をしていた。
その頃、職場でもう1人陽性が判明する。陽性者と何もない人が同数になった。

8月31日25時

眠れない。慣れない場所で鼻づまりもひどくなかなか寝付けなかった。いっそここで振り切ってテレビでも見てしまっていれば、気持ちが楽になったのだけど、切り替えられなかった。ウダウダと仕事のことを考えしょんぼりとしていた。しょんぼりしているうちに疲れのピークが訪れて、気絶するように眠っていた。

つづく