アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

私はこどもがあまり好きではない。

私はこどもがあまり好きではない。

移動中の車内で騒いでいるこどもには100%イライラする。できる限りプライベートではこどもと関わりたくない。おそらく自分の子をもうけることもないであろう。

ただ、社会人生活のほとんどはこどもと関わる仕事についている。職場では「可愛い〜」と言っているし、思わず頬が緩む場面も多い。むしろ率先してこどもを抱き上げているくらいである。「先生、小さい子好きですよね」と言われている。
どんな大声で泣いていてもうるさいとは思わない。「何もわかってあげられなくてごめんよー」と言っている。


その思いたちは矛盾しているようだがどちらもたぶん本当なのだと思う。

多分その感情というのは、名前も知らないこどもとどこの誰かわかっているこどもという違いと、公私の違いなのだろう。

バックグラウンドがわかっているこどもの行動はさまざまな原因を知っているため許せるのだが、見知らぬこどもだとただ「大声で騒いでいる」ことだけが見える。もしかしたら持って生まれたものがあるのかもしれない、ただ初めてのことが怖いのかもしれない。それが全くわからないためにイラつきが先に来てしまうのだと思う。言ってしまえば得体のしれない何かなのだ。


仕事の時にはそれでお金をもらっているのだ。好きではないから、無理だからですまされない。多分意識が「先生としての私」に切り替わるのだ。そうするとどんなこどもでも可愛らしいと思うのだ。そして、こどもを見ているとできることがどのこどもも増えていく。その成長を見ると「もっとがんばるかな」となっていく。その繰り返しで仕事が楽しくなっていくのだ。


私はこどもがあまり好きではない事実は変わらない。ただ、こどもとかかわる仕事は一生続けていくのだと思う。4月から新しい環境に身を置くのだが、どんなこどもたちと出会えるのか楽しみである。

25th Anniversary MISIA THE GREAT HOPE

本当に本当に楽しかった。

MISIAの25周年記念ツアーが終わった。
私は6都市7会場で12公演を観た。
去年の初夏にツアーのチケット申し込みがあり、行けるだけ行こうと申し込んでいた。その後病気がわかり、さらに音小屋の受講も決まり行く回数を減らそうか迷っていた。しかし、ここで観なかったら後悔するかもと思って自分が参加できる全ての公演に行った。

ツアー開始の武道館公演はここまで完成しているライブが初日から見られるのか!と驚いた。ここからさらに良くなっていくとどうなってしまうのだろうかという期待で胸がいっぱいになった。

名古屋公演はトランペッターの黒田卓也が参加していて音色が豪華になっていた。ツアーとして練り上がっていく様子が見えてきた。

札幌公演は演出が前述の2会場に比べ豪華になった。金テープが舞い、ダンサーやクイーンの華やかさも際立つようになった。クリスマスの公演だったためクリスマスソングメドレーも披露された。

大阪公演は声出しが解禁され、観客と一体になりMISIAが楽しさを身体全体で表現していた。ここで完成されていたライブがさらに進化した。

横浜公演は映像収録が入り、レーザーが加わりさらに迫力のあるものとなった。バンドのメンバーもそれぞれアレンジを加えてより曲が煌めくようになった。

福岡公演はMISIAの地元九州で方言を交えながら凱旋ライブを楽しむ姿があった。「好いとっと」という博多の方言を交えた曲もこのツアーで初めて演奏された。

そして最後の有明公演、始まった時点で完成されていたと思ったこのツアーが半年の間に変化して完璧なものになった。観客の声を全身で受け止めて力にしたMISIAが力の限り歌っていた。

個人的に好きだったのは「higher love」、「MAWARE MAWARE」、「おはようユニバース」である。
「higher love」は元々思い入れのある曲なのだが、さらに思い入れが深くなった。病気の影響が色濃く出ていた時や仕事で節目となる日など聴く時によって抱く思いが変わって涙を流して聴いていることが多かった。MVと同じ衣装を纏ったダンサーとMISIAを見て崇高な愛に浸っていた。
「MAWARE MAWARE」は、スローテンポな曲が続いた後に未来を切り開くように始まる。タオルやライトを皆で掲げ新しい未来へとつながっていくように感じた。普段は目線や指さしを「気のせいだ」と思っているのだが、福岡公演でしゃがんだMISIAに指さされ目もバッチリ合ってしまった。ここまでピッタリとあってしまうと言い訳のしようがない。心臓が止まるかと思った。
「おはようユニバース」はツアー開始前に配信された最新曲である。私が見に行った12公演全てでアンコールの1曲目で演奏されたのだが、武道館公演の時には赤みがかったオレンジの衣装でダンサーを2人携えて歌っていた。しかし、最終日の有明公演ではレモン色の衣装を纏ったMISIAドラァグクイーン、車椅子のパフォーマー、ダンサー、ギター、サックスと大人数で盛り上げる形に変わっていた。大小の差はあるがこのように観客をより楽しませるために初日から最終日までで様々なことがより良くなっていた。観るたびに新しい発見があって楽しみだった。


半年間駆け抜けるように終わってしまった。
北海道から福岡まで見に行き、病気の影響もあり体力も精神的にも限界ギリギリのところまで行っていた。しかし、見るたびに来てよかった、今日も楽しかったと思えるライブがあることが幸せだった。次のライブを指折り数えて楽しみにする日々が終わってしまったのがとても寂しいけれど、次のライブを楽しみに待ちたいと思っている。

音小屋ライター科に通って

音小屋のライター科に去年の10月から半年間通っていた。そして先日最終日を終えた。濃い半年間であった。
通いたいと思った理由は、自分の文章を人に響く文章にしたいからだけであった。特にライターになりたいわけではなく、書くことがただただ好きだから参加したのだ。
去年の7月に病気がわかり、まだ本調子ではない中で参加確認の連絡が来た。その当時はまだ休日はほぼ布団の中で唸っていた状態だったため通えるのか…?と自分を信じきれなかった中だったが、ここでチャンスを逃したら一生行けない気がして参加をした。


まぁ辛かった。まず帰宅ラッシュの電車に乗って行かなくてはならない。病気の影響で人混みに入ることが極端に苦手になってしまい、毎回大冒険だった。満員の小田急線に乗りながら吐き気に襲われることもあった。下北沢に辿り着くまでにかなり消耗していた。
そして、ライター科に通っているのにも関わらず、文章も書けないことも多かった。元々書きムラがある人間なのはわかっていたが、病気が判明してからそれが酷くなった。何も書けないことが続いた。ここにいていいのだろうか?と思うことも多かった。そして自分の書きたい文章が書けず、気持ちもどんどん落ち込んでしまった。年末あたりが本当に地獄だった。書けない。気持ちが落ちる。余計に書けなくなる。という地獄のループに陥った。もう書きたいように書こうと開き直ったのが年明けのあたりである。決して安くはないお金を払っていくのだし、書きたいものを書いて出そうと思った。そこから書くことがまたできるようになっていった。


文句を書いているようだが、それ以上に充実していた。
それぞれ生きてきた環境の違う人と初めて会って話してみてなるほどと思う場面も多かった。仕事で関わる人間が少人数のため、煮詰まることが多かったが週に1回の息抜きになっていた。「先生」としてではなく、「じゅりさん」として存在できることがとても嬉しかった。
そして自分の文章のくせを知って、強みと弱みを知ることができた。癖のある文章をよく書いていたのだが、それを面白いと読んでくれるのも嬉しかった。正統派な文章を書こうと思ったら書けなくて諦めたのだ。
そして書きムラのこともあるが、なかなか書こうという気持ちにならない時にも課題をやらなければ!と机に向かえた。締切にせっつかれることも大事なのだと思った。(ただ締め切りには大体間に合ってなかった)


私は自分が感じたことを素直に書くことが好きだ。書いていて楽しい。様々な事象を「私」というフィルターを通して書くことをずっとしていきたい。そしてその文章を誰かに読んでもらえるようになったとしたらなんで素敵なのだろうかと思う。
まだまだ私の文章は人に読んでもらうレベルには到達していない。これからさらに書いていって誰かに私の文章を届けられるようになればと思っている。音楽評も書きたいけれどまずは日々のことを大切に書いていきたい。

25th Anniversary MISIA THE GREAT HOPE 大阪城ホール公演を見て

 喜びと幸せが溢れるライブだった。25th Anniversary MISIA THE GREAT HOPE大阪城ホール公演で3年ぶりにMISIAのライブでの声出しができるようになった。このツアーを見るのは6回目だが、私がMISIAのライブに行くようになったのが2020年9月からのため声出しができるライブに参加するのは初めてだった。

 前日のライブではライブの最後で恐る恐る声を出す観客が多かったようだが、この日は違った。MISIAも序盤から観客を煽り、5曲目の「INTO THE LIGHT」で金テープが客席に降り注いだときには歓声が会場中に響き渡った。その後もMISIAの名前を呼ぶ人や、歌を口ずさむ人など思い思いにライブを楽しむ人が多かった。私も声を抑えずに楽しんだ。そしてMISIAもいつも以上に笑顔で楽しんでいるように見えた。もちろんこれまでのライブのMISIAも圧倒的であった。しかし、それ以上に楽しさが身体中から溢れ出ているようなのだ。先日放送されたSONGSで「観客のパワーに後押しされている」と言っていたのだが、声援というパワーが彼女を突き動かしているように見えた。3年ぶりの声援を体いっぱいに吸い込んで歌声や振る舞いで放出していた。本当に美しかった。

 アンコールでの「つつみこむように」では、MISIAが観客に向かってマイクを向けた。私もサビの部分を歌っていたら涙が出てきた。この3年間声を出さないように、感情を抑えながらライブを見てきた。やっと声を出せて心がいっぱいになってしまったから、そしてMISIAが今まで以上に楽しそうにライブをしていることが嬉しかったからだろう。好きなアーティストが楽しそうに過ごしてくれることがファンにとっては何よりも1番幸せなのだ。2月から25周年が始まるMISIA。10月には東大寺のライブも決まっている。この1年、いやこれからのMISIAはどんなライブを見せてくれるのだろうか。期待で胸が膨らんでいる。

保育士になった

ここで触れた通り、保育士試験に合格した。


保育士試験合格=保育士というわけではなく、保育士登録ができ保育士証が届くと保育士と名乗ることができる。つい先日保育士証が届き、わたしも保育士と名乗ることができるようになった。

かかった費用について

保育士試験についてかかった費用はこれである。
わたしは大学で授業として取っていて薄ぼんやりと覚えている科目もあり、本当に最低限の勉強しかしていないため、普通ならもう少しかかると思う。

参考書代

テキスト2冊と1問1答のみで約6000円。
筆記試験の結果が分かった段階で、実技で落ち続けたとしても3年は筆記を受けないこと、3年後にはまた法律や資料が変わっていることを考えて、フリマサイトに出品し、約3000円で売却。
実質3000円。

受験するまでの手続費用

12950円と振込手数料、受験書類発送の為の簡易書留料金。
約14000円。

実技試験対策

楽譜2枚と素話原稿で約1200円。それしかかけていない。

試験日の諸経費

交通費3日分1500円。
食事代3日分3500円。
約5000円。

合格してからの手続費用

保育士登録の手引の取り寄せで約300円。登録費用4200円と振込手数料、簡易書留送料で約5000円。
合計で約5300円。

合計

約28900円。
3万円しない程度で国家資格が取れてしまった。1ヶ月の資格手当でお釣りが充分にきてしまう額である。

まとめ

お給料が上がるから!と受験申し込み締め切りギリギリに出し、本をささっと読んだ程度の人間が合格していいのだろうかと思うのだが、取れたものはとれたものである。大学生活、社会人生活の中で学んだこともあるからこそとれた資格だ。
これから資格を活かして働いていきたい。今月分のお給料から資格手当が入るので来月のお給料日が楽しみである。

新型コロナウイルス感染症になった その7

宿泊療養で持っていった方がよかったもの、持っていかなくてもよかったもの、持っていくべきだったものと最後のまとめをしていきたい。

前回の話
https://tricky-pink.hatenablog.com/entry/COVID-19_06

注意
ホテルごとにアメニティが違いすぎるので!
アパホテル&リゾート 西新宿五丁目タワーで宿泊療養する方以外は必要なものが必要なかったり、必要なかったものが必要だったりするかもしれません。もしかしたらアメニティが増えるかもしれませんし、2022年9月7日の情報だと思っていただければ…。

持っていってよかったもの

mokuタオル

タオル類も自分で洗濯しなければいけないかつ乾かない状態は避けたい中で8日間フェイスタオルをバスタオルがわりに使っていた。吸水性が良いため、1人分の体や髪を拭くのにはちょうどよかったのと、夜洗ったら朝には乾いているので、タオルが乾いていなくて体が拭けないということがなくて快適だった。2枚持って行ったのだが、また他の色も購入したい。コンテックスさんに足を向けて寝られない。

生の果物やデザート類、好きなお菓子

そんな嗜好品は出てこないので、好きなものがある人は絶対に持って行っておくべきである。わたしは果物はみかん、オレンジ、プルーンと梨、りんごを剥いたもの、デザート類は小さいゼリー、お菓子は高カカオのチョコレートとカントリーマアムを持って行った。馴染みのあるお菓子を持っていくことで安心するのと、味覚や嗅覚がおかしい場合はそれで判断できるのだ。実際療養入りたての時には味があまりしなかったチョコレートが日に日に味が戻ってきていたので、判断材料になっていた。

お茶のティーバッグ

普段色々な種類のお茶を飲んでいるのでこれは気持ちを落ち着かせる上で大事だった。水は取り放題でお茶のペットボトルは1日1本までと書いてあり、なるべく水を取っていた。水をそのまま飲む習慣があまりなくお茶にしなければ飲めないので、水分補給のためにお茶パックは不可欠だった。1日あたり2〜3リットルを水出しにして飲んでいた。ルイボスティーコーン茶黒烏龍茶、紅茶…と色々な種類を持っていき、気分によっていれるものを変えた。一応インスタントの緑茶とコーヒー、紅茶のティーバッグはアメニティとして置いてあったが、普段飲んでいるお茶をこだわっていた私は、紅茶は飲めなかった。コーヒーが好きな人はドリップコーヒーがあると気持ちが変わると思う。

インスタントのスープ類

わたしのいたホテルでは汁物がつくことはなかった。あるホテルもあるらしい。1食に1つ飲むと食事が華やぐ。朝が必ずパンだったのだが、スープにつけながら食べるとまた味が変わって美味しかった。多少似たようなメニューになるのだが、スープが変わるだけで全然気持ちが変わる。そして飲み慣れているものがあれば味覚の判断をそこでできるためおすすめ。

ピンチハンガー

普通のハンガーはあるのだが、ピンチハンガーは下着やズボンを干すために必要であった。クリップ付きのハンガーもあったのだが、ピンチハンガーの方が乾きが早い。安いものを捨てるつもりで持っていくといいかもしれない。

リラコ

絞りやすい、乾きやすい、着心地もいい、そのまま寝られる、ロビーくらいなら出ても大丈夫という最強のパンツだった。家でも愛用していて慣れていたからこそよかった。

ぬいぐるみ

小さいぬいぐるみを持っていっていた。アパホテルの部屋は殺風景で気が狂いそうになったが、ぬいぐるみを置いておくと殺風景な景色が華やいだ。暇な時にもふもふしてみたり、投げて遊んだり結構色々遊んでいた。

置き型のSwitch

体力を維持して職場復帰してもほぼ罹患前と同じくらい動けたのは、リングフィットとフィットボクシングのおかげである。アパホテルHDMIケーブルを挿せるので大画面でゲームをすることができた。ホテルによってはできないらしいので、ラッキーだった。ながらモードで筋トレをしながらテレビを見ていることもあったので、筋トレついでに持っていくといい。ただ重い。

ファブリックミスト

使い慣れている除菌消臭機能つきで香りもついているものを持っていった。香りがどれだけするかもわかるのと家と同じ香りがするので落ち着いた。シーツ類は基本的に交換されないので、ファブリックミストでシュッ!として綺麗にしたつもりになっていた。

食器洗い用洗剤

本来持っていったマグカップを洗うつもりでいたのだが、思いの外役に立った。水回り及びトイレの掃除で使えた。除菌ができるものを使っていたので8日間綺麗な水回りを保てたのは洗剤のおかげである。療養が決まった瞬間にAmazonで適当に買ったものだったのたが、逆さボトルでとても使いやすかった。

シャンプー類とボディソープ

備え付けはあるが、慣れたものの方がよかった。多分備え付けを使っていたらカサカサキッシキシになっていたと思う。嗅覚面での変化もわかりやすかった。

入浴剤

気持ちが変わる。入浴剤を入れたお湯に浸かると少し気持ちもほぐれる。運動系ゲームもやっていたため筋肉の凝りもほぐれた。

試供品でもらった基礎化粧品

なかなか使わないので、持っていって使っていた。気持ちも変わるし、肌の調子も良くなるのでテンションが上がった。そして捨てられるのも素晴らしい。

慣れた枕だけでもあると心持ちが変わる。ただ持ち運びのための袋が必要だし、かなりの大荷物になる場合があるので、わたしは持っていってよかったが、枕を気にしない人はいらないと思う。

羽織もの

ちょっと空調きかせすぎた時などに羽織れるパーカーを1枚持っていったがよかった。

いらなかったもの

マグカップ

西新宿五丁目タワーではアメニティで個包装された紙コップが自由に使えた。カップは保温機能付きのものを持って行っていたのだが、使わないだろうと判断し1日目の夜の時点でスーツケースに逆戻りしていた。そこそこかさばったのにな。

洗濯用洗剤

もらえた。しかも持ってきたものより良いもの。もしかしたら、言えばくれるかもしれない。1日目に置いてあって使ったものの2日目以降になくなっていて、くださいと言ってもらった。すすぎ1回で終わる洗剤の方がやっぱり素晴らしい。

タブレット端末

ほぼ使わなかった。VODや動画類はテレビのもので十分だった。他のホテルであれば必要だったかもしれない。

Switch lite

大画面でできるなら、liteはいらなかった。ただHDMIで繋げなかった場合はliteでゲームしてたと思う。置き型のものは重たくて持ってゲームしづらい。

必要以上の洋服

洗濯すればどうにかなる。3日分あれば大丈夫。着てるもの、乾かし中、次着るもののローテーションで良い。どうせ他人なんて誰もみていない。

スポンジ

もらえた。持っていかなくてもよかった。

洗面器

使わなかった。本当に使わなかった。すぐ捨てた。


持っていけばよかったもの

歯ブラシ

アメニティのものを使っていたらすぐ歯茎から出血した。元々力が強いかつ固めの歯ブラシで磨き残しも多くなっていた。自宅に戻ってお気に入りの歯ブラシを使ったら気持ち良すぎて歯磨きがやめられなくなった。

筆記用具・ノート

ブログを書きながらもっと書き留めておけばよかったと思った。簡素なメモしかなく書こうとも思わなかった。




まとめ

今回コロナになってしまったが、幸いなことに限りなく症状が少なく済み不幸中の幸いであった。そしてきちんと予防をしていても罹ってしまうのだなと思った。家族にうつさないため、自分のメンタルケア的な面も含めて宿泊療養に移れたことはとても幸運だったと思う。3食のご飯、飲み物、寝る場所がついて無料。税金をふるさと納税もせずにきちんと納めていてよかったと思う瞬間でもあった。情報をきちんと調べて迅速に動くことができ、陽性判明からスムーズに宿泊療養に移ることが出来た。適切な情報に素早くアクセスできるようにこれからもしていきたい。
もうコロナにはなりたくないが、ホテルに1週間篭りたい気持ちは強いので、今度は普通にホテル7連泊とかしてしまいそうである。

新型コロナウイルス感染症になった その6

最後まで楽しむ7日目と出所の8日目

前回の話
https://tricky-pink.hatenablog.com/entry/COVID-19_05

とうとうシャバに放り出された。

9月6日6時半〜

慣れた手つきで検温と酸素濃度の計測をする。心拍数が53という生きてるのかなと思う数値が出るが、手首で測ると1秒以上間隔が開くので間違いはないであろう。安定の2度寝。
7時半に起きて、朝ごはんをもらいに行く。朝ご飯を食べながらラヴィットを見る。大好きな山添さんが出ている。リアルタイムでは見られなかったがこの前週に山添さんが朝番組にふさわしくないボケをして、Twitterを騒然とさせた件があり今週は何が出てくるのか楽しみにしていた。期待をしていたところに激怒したラッピーがファンタを持っていた。先週の件を思い出しながら息が苦しくなるまで笑っていた。あれはとてもズルいのではなかろうか。
そして、錦鯉の単独ライブをもう一度見る。やっぱり面白い。M-1ネタもあったが、M-1用にコンパクトにされてたのだなとそこで知る。ライフイズビューティフル!という最後の台詞が付け足されたものだったのは知っていたがあの一言も大事だなと思った。


9月6日11時〜

最後の問診の電話がかかってくる。体調が悪くなることもなく何も問題がなかったため明日の出所が決まる。
そろそろ片付けを始めようと片付けを始める。もう使わないものをキャリーバッグに入れていっぱいになったため、キャリーバッグを閉める。これから出る洗濯物などはキャリーの上に乗せられるボストンバッグに入れることにした。机や部屋の中がすっきりとし始めてもう終わりが近いことを感じ始めた。
12時になり最後の昼食である。取りに行くとハンバーグのお弁当だった。温かいスープを飲みながらぼーっと食べ進める。明日の今頃にはもう家に着いているのだなと思うと不思議だった。
そして、最後のお昼寝タイムである。15時ごろまでゆったりと眠る。

9月6日15時〜

長めに遊びたいのとswitchを片付けたくてリングフィットを始める。ボス戦で経験値2倍を使うととんでもなく経験値が稼げることをここで知る。今度から経験値2倍を使おうと思う。休憩しながら検温をして平熱なことを確認して、フィットボクシングをする。汗をダラダラとかき、気がつけば17時になっていた。慌ててお風呂に入る。明日の朝もお風呂に入ろうと思っているため、さっとにする。
18時になり夕食をもらいに行く。最後の夕食。持ち込んだナスのお味噌汁と合わせて美味しくいただく。もうお風呂に入っているため、布団でゴロゴロとしながら普段はなかなかみられない時間帯のバラエティ番組を見る。持ってきていたものの食べてなかったポテトチップと炭酸のジュースを飲みながら、最後の夜を噛み締めていた。バナナサンドを初めてフルで見た。あの4人ってやっぱり面白いなと感じる。
マツコの知らない世界を見ようとしたが、防災グッズ特集でドンキの特集を見始める。ドンキ行きたくなるよね。
明日は寝坊や二度寝が許されないため22時ごろテレビを消して眠りにつく。


9月7日6時半〜

起きた。体温と酸素濃度、心拍数の確認をする。もう眠ったら起きられない気がしたので、お風呂に入る。昨日はさっとしか入ってないので、ゆったり浸かる。
お風呂から出て洗面用具をしまい、朝ご飯を取りに行く。ゆったりと朝ごはんを食べ、部屋着から1週間ぶりに外に出られる洋服に着替える。部屋着生活が長すぎて普通の洋服に着替えることが若干億劫になっていて、社会復帰できるのかな…と思い始める。
最後の最後までダラダラして、9時になり部屋を後にする。1週間過ごした部屋とのお別れはなんだか寂しい。現実世界に戻らなければ…となりながら、エレベーターに乗りロビーに着く。同じ日に療養終了の方がたくさんロビーにいた。
封筒に入った手紙をもらい、外にでる。
1週間ぶりのシャバである。28日からタクシー移動以外は外出をしていなかったため、歩いて外を移動するのは11日ぶりである。電車を乗り継ぎ、最寄駅からはタクシーを使い帰宅する。荷物が多すぎて歩いて帰るのは不可能だった。

9月7日10時過ぎ

自宅に到着する。1週間ぶりの帰宅である。ここまで家を空けたのは合宿免許以来である。家には誰もいないので、自分で鍵を開けて入る。リビングで荷物の仕分けをして、洗濯を回す。洗濯機は偉大である。洗濯をしているうちに荷物の仕分けが終わっていた。30分もすると洗濯が終わり、干す。見違えるほど綺麗になる洋服に感動する。
荷物の整理が終わりやっとひと心地ついて、少し横になる。ダラダラとしていると用事を済ませた家族が帰ってきて1週間ぶりに再会することができた。

コロナ療養の11日間はこれで終了。
次回は宿泊療養の持って行ってよかった、いらなかった持ち物を書いていく。
つづく