アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

音小屋ライター科に通って

音小屋のライター科に去年の10月から半年間通っていた。そして先日最終日を終えた。濃い半年間であった。
通いたいと思った理由は、自分の文章を人に響く文章にしたいからだけであった。特にライターになりたいわけではなく、書くことがただただ好きだから参加したのだ。
去年の7月に病気がわかり、まだ本調子ではない中で参加確認の連絡が来た。その当時はまだ休日はほぼ布団の中で唸っていた状態だったため通えるのか…?と自分を信じきれなかった中だったが、ここでチャンスを逃したら一生行けない気がして参加をした。


まぁ辛かった。まず帰宅ラッシュの電車に乗って行かなくてはならない。病気の影響で人混みに入ることが極端に苦手になってしまい、毎回大冒険だった。満員の小田急線に乗りながら吐き気に襲われることもあった。下北沢に辿り着くまでにかなり消耗していた。
そして、ライター科に通っているのにも関わらず、文章も書けないことも多かった。元々書きムラがある人間なのはわかっていたが、病気が判明してからそれが酷くなった。何も書けないことが続いた。ここにいていいのだろうか?と思うことも多かった。そして自分の書きたい文章が書けず、気持ちもどんどん落ち込んでしまった。年末あたりが本当に地獄だった。書けない。気持ちが落ちる。余計に書けなくなる。という地獄のループに陥った。もう書きたいように書こうと開き直ったのが年明けのあたりである。決して安くはないお金を払っていくのだし、書きたいものを書いて出そうと思った。そこから書くことがまたできるようになっていった。


文句を書いているようだが、それ以上に充実していた。
それぞれ生きてきた環境の違う人と初めて会って話してみてなるほどと思う場面も多かった。仕事で関わる人間が少人数のため、煮詰まることが多かったが週に1回の息抜きになっていた。「先生」としてではなく、「じゅりさん」として存在できることがとても嬉しかった。
そして自分の文章のくせを知って、強みと弱みを知ることができた。癖のある文章をよく書いていたのだが、それを面白いと読んでくれるのも嬉しかった。正統派な文章を書こうと思ったら書けなくて諦めたのだ。
そして書きムラのこともあるが、なかなか書こうという気持ちにならない時にも課題をやらなければ!と机に向かえた。締切にせっつかれることも大事なのだと思った。(ただ締め切りには大体間に合ってなかった)


私は自分が感じたことを素直に書くことが好きだ。書いていて楽しい。様々な事象を「私」というフィルターを通して書くことをずっとしていきたい。そしてその文章を誰かに読んでもらえるようになったとしたらなんで素敵なのだろうかと思う。
まだまだ私の文章は人に読んでもらうレベルには到達していない。これからさらに書いていって誰かに私の文章を届けられるようになればと思っている。音楽評も書きたいけれどまずは日々のことを大切に書いていきたい。