アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

バレンタイン

バレンタインが好きだ。

まずチョコレートが好きなのでいろんなところのチョコレートが催事でぎゅっと集まってるだけで楽しい。チョコの色、形、デザイン、外装もとても綺麗。見ているだけで心が躍る。食べたいと思ったものは自分用の普段は買わない価格帯のチョコレートも年に1回買ってしまうのだ。

そして、誰かのために選んでいる人の姿を見るのが好きだ。幸せが溢れ出ている人もいるし、少し悩ましい様子の人、少数にはなってきているが完全に義務感に溢れている人などなど色々な人の姿が見られて、義務感の人を除いては楽しそうなのだ。

なによりわたし自身も誰かのために選ぶことが好きなのだ。この人はこれが好きそうだ、あの人はこれだろうと考えながらトコトコとバレンタイン催事の中を回るのだ。誰かを大切に思う気持ちをチョコレートに込めてありがとうとチョコレートを渡すのだ。


これからもよろしくお願いしますという意味も含めてわたしは今年もチョコレートを渡していこうと思う。

MISIA 星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE

わたしが人生でここまで入れ込むツアーはもうないであろう。初日から観に行っていたが、一足お先にわたしなりの最終日を迎えた。

4月のステラシアター、8月のLINE CUBE SHIBUYA、10月のガーデンシアターと札幌芸術劇場、11月のガーデンシアターとフェスティバルホール、12月のガーデンシアター、そして1月の上越文化会館。
1日2回公演見ている場合もあるため合わせて11公演を見た。

どんどん曲が育っていき会場のグルーヴ感も増していた。Hello Loveはライブが増えていくごとに特に成長していった曲だと思っている。さらに公演ごとでのMCではオチを知ってる話で序盤から笑いが堪えられなくやったり、涙ありでもらい泣きしたり感情がむき出しになった。そして、たまに起きるハプニングも見ていてサプライズだと思った。

全て生演奏で繰り広げられる上質なライブにドキドキしていた。一流のバンドメンバーにも魅了された。ピアノのソロが毎回アレンジが違ったり、えげつないビートを笑顔で叩いていたりバンドメンバーから目が離せないことも多くあった。(トランペットのKさんがいるときはMISIAさんより見ていた気がする)

わたしの人生の中で大切な曲になっていきそうなHigher Loveの初披露の場所にいられたこと、涙が溢れて止まらなくなった札幌でのライブは一生忘れられない。あの体験は2度とできないだろうと思っている。

わたしの誕生日でもあるオーラスの公演に行こうか迷っていたが、保育士試験の直前のためGWのキャンドルナイトまで我慢することにした。

MISIAさん、リズメディアの皆様、バンドの皆様、素敵な素敵なツアーをありがとうございました。
キャンドルナイトも楽しみにしています。

普通の日のケーキ

とてもケーキが食べたくなった。コンビニスイーツではないケーキ屋さんのケーキが無性に食べたい。

お財布の中を見て余裕があるかを確認してケーキ屋さんに向かった。なんでもない日にケーキを食べてしまうなんて…と思いながらケーキ屋さんの扉を開ける。ショーケースにある色とりどりのケーキたち。眩いばかりのキラキラとしたケーキに圧倒された。
どれを食べようかと迷って、ピスタチオとチョコレートのケーキにした。
小さな箱に入れてもらって持ち帰る。なんだかウキウキした。

家に帰って、やることを片づけおやつの時間。
パカッと箱を開けてケーキを皿に乗せる。ドリップコーヒーを開けて、ゆったりとコーヒーを淹れる。
あったかいコーヒーとケーキをテーブルに置いて、ゆったりと食べる。

何かがいいことがあったわけでもない。逆に嫌なことがあったからご機嫌取りなわけでもない。パーカーにジーンズというなんてことない服装でケーキを食べる。コンビニスイーツとは違う当日限りのおいしさが心と体に染み渡る。


なんてことない1日、何も変わらない普通の1日に素敵なケーキを食べる。そんな日があってもいいかもしれないと思った。

今度はずっと気になっている少し遠いケーキ屋さんのケーキを買って食べてみようかな。

ジグソーパズル

人生はジグソーパズルのようだとふと思った。

ぴたりと合うピースを沢山のピースの中から探していく。人だったりモノだったり仕事だったり…さまざまなピースがある。それを組み合わせて人生という絵ができていくと思った。

ただ普通のジグソーパズルと違うのはある時はぴたりと合っていたと思っていても自分の絵の変化なのか、ピースが変化しているのかわからないけれど、いつの間にかはまらなくなっていることがある。逆に合わないと思っていたピースが時間が経ってぴたりとはまることもある。

はまらなくなったピースの部分がポッカリと空いてしまうこともあるけれど、新たなぴたりとはまるピースが見つかってより良い絵を創ることができると思う。ただもしかしたら空いてしまってそこの部分だけずっとはまらないこともあるのかもしれない。でもそれでいいのではないか。そこがぽかりと空いているということも自分の人生のなかで必要なことなのかもしれない。

かちゃかちゃと自分という未完成なジグソーパズルを組み立てていくというのが人生なのではないだろうか。

どのピースを取ろうともわたしの自由だ。たとえ間違えてしまっても、遠回りになってしまってもはめたいピースをはめていくのだ。しっくりこなかったらまた考えればいいのだ。長い長い人生なのだから寄り道したりピースをはめない時間もあっていい。

誰でもないわたしの人生なのだから、自分だけの絵を創っていきたい。

保育士試験を受けよう

この春の保育士試験を受けることにした。

理由としてはまずはお金である。
保育士資格を持つことで今勤めてる会社の給料が爆上がりするから。
詳しいことは身バレが怖いためぼかすが年間で数十万単位で違うのだ。モチベーションが上がる。


とお金目当てなことを書いてみたがそんな簡単な理由だけではないのだ。

自分の勉強不足も理由としてある。
元々大学のこどもを専門として扱う専攻を卒業して、そのあと教育者として数年間働いていた。その中でもっと低年齢のこどもについてもっと学びたいと思ったからだ。低年齢の時のつまずきや発達の遅れにより学童期での困った!が出てきているのではないかという事案を多く見ていた。1回目の幼稚園実習があまりにもトラウマで2回目の実習に行かずに幼稚園教諭の免許は取らなかったのだが、幼稚園の免許を取れるように幼児についての勉強もしていた。しかし、学童期の現場に出てみて幼児期のことをふと思い出そうとしても全然思い出せないのだ。こりゃまずいと思った。

そして自分の中で縛られずに生きたいという思いが年々強くなっているからでもある。正規職の安定もいいのだが、1度きりの人生なのでもっと楽しみたいし、もっと自由に生きたい。アルバイトやパートをしながら自分の趣味や創作に費やす時間を増やせたらどんなに良いだろうかと考えることも多い。
そうなった時に活きてくるのが資格である。運転免許と教員免許しか持っていないわたしには武器がない。
少子化と呼ばれる昨今でも子供は生まれているし、働きたい保護者の方は増えている。
町を歩いているときにも保育士のパートの募集をよく見るのだ。自由な時間を増やしたいと思ったとき、保育士は武器になると考えた。


さらに、乳幼児期の脅威的な発達についてもう1回学びたいと思ったからだ。ふにゃふにゃとした誰かに守ってもらわないと確実に死んでしまうであろう新生児が6年後には歩いて走って、話して文字を書き、読めるようになるってとんでもないことだ。どういう発達の仕方をしてどのように成長していくのかを学んだはずなのにはっきりと思い出せないため、もう1度整理して自分の中で納得したいのだ。

最後はわたしは多分こどもを産むことはないと考えているのだが、かけがえのない世の中の宝物であるこどもを育てている人たちの少しでも助けになりたいと思っているからだ。自分の生きづらさと今の世の中を見ているとわたしがこどもを産むことはないだろうと思ってしまっている。産むことはないけれど、こどもの成長の助けになりたい。その思いは高校生の時からずっと変わっていない。




少しずつ勉強を始めているが、複数の科目は学んだはずなのだが、頭からすっかり抜けていることも多い。参考書を見た瞬間にその授業をしていた教授のくだらない話は思い出せるのに、その内容を全く思い出せないという訳の分からない現状になっている。あと3ヶ月弱でどこまでいけるか挑戦しようと思う。
目標は今年の後期試験までで保育士資格を取得と考えている。

がんばるぞー!

ベスト

カラー専門店でヘアカラーをしてもらった。

多動かつ飽き性で長い時間座っていられないわたし。カットとカラーを一緒にするとカラーの時点で帰りたくなる。ただ同じお店で別日にすると驚くほど高くなる。

そして、カットしたいときとカラーしたいときは大抵別なのだ。わたしの場合は色落ちが気になってくる方が早いので大体カラーに合わせてカットをしていた。ただカットの持ちが良いため、まだ切らなくてもいいかなと思うタイミングで切っていた。もったいないなーと思いながらカラーの後カットをしてもらっていた。

そう思っていて、ふとこれはカットとカラーを別日でもいいんじゃないか?そうしたらカットとカラーを別日にやるのならお店を変えてもいいじゃないと思った。しかも、お店を別にすることによって通ってるお店のカットとカラーのセットより安くなるのだ。


カラー専門店でこんな感じでお願いします!と伝えて髪を染め上げてもらった。限界まで濃く染めたいという要望に合わせて、2度塗りをしてもらった。完成した髪を見て、すごく嬉しい気持ちになった。
これがやりたかった!久しぶりにピタッとハマった。そのお店に行くのは2回目なのだがよく話が通じて、わたしのしたい色になっていた。多分合うのだろう。


わたしにとって、カラーは専門店で、カットはお気に入りの美容院でが仕上がり面も金銭面でもベストなのだと思う。今回カラーをしてトリートメントしたら綺麗に髪がまとまった。持ちがいいカットを活かして、もう少しカットを先送りしてもいいのかもしれないと思った。

今まではこれでいいだろうとベターな方向に流れることが多かったのだが、これからは妥協せずに色々考えて常にベストな選択をしていきたいと思う。

劇団四季のアナと雪の女王を見た

わたしは劇団四季に対してアレルギーがあった。
原因としては高校の時に見たリトルマーメイド。三角コーンを頭に乗せたかのようなアリエルを見て夢がガラガラと崩れてしまったからだ。
これはアリエルではないとその時点で思考をシャットダウンして、それ以来劇団四季というものを10年近く見ていなかった。

10年ほど経って、好きな漫画家さんのミツコさんがアナと雪の女王の観劇レポートマンガを出していた。
アナと雪の女王はわたしが10年以上離れていたディズニーを改めて好きになった作品で、何度も何度も見ている。楽曲もストーリーも全てが好きなのだ。

これなら見られるかもしれない。ただ四季アレルギーにより見に行くことを躊躇していた。

12月に入り、FNS歌謡祭を見ていた。ミュージカル特集があり、生まれてはじめてがテレビから流れてきた。驚いた。アナとエルサが実在するのだ。数分間の映像だったがそれだけで引き込まれた。見てみたいと思った。そこから2時間後にはチケットを取っていた。行動力だけはある無職は放っておくとこうなるのだ。

そして数日後竹芝の劇場に向かった。10年ぶりの四季。アレルギーは克服できるのかと不安とウキウキで心が一杯だった。

そして幕が上がり世界に引き込まれて行った。


2時間後、感動で何も言えない私が完成していた。詳しいことはネタバレになってしまうので、避けるがものすごいのだ。

エルサやアナの心情描写が台詞としてアニメ版よりもはっきりとされていることがまず引き込まれた点のひとつだ。きちんと衝突するのだ。衝突があり和解をしていくところがきちんと描かれているのだ。

プロジェクションマッピングと演劇の融合もものすごかった。わたしはディズニーシーのソングオブミラージュというショーが大好きなのだが、そのショー以上にプロジェクションマッピングと演劇が解けこみ合っているのだ。雪の世界がとても素敵に表現されていた。あの有名な曲のところでは引き込まれていってしまった。

ミュージカル版のための曲もありとても良かった。特にクリストフが歌う場面も増えていて見ていて楽しかった。2幕の最初の曲は思わずニコニコしながら聞いてしまった。映画版と共通の曲、ミュージカル版の曲と織り混ざりながら進んでいって、どの曲が欠けてもこのミュージカルは成立しないのではないかと思った。

ヤングアナを演じていた桑原広香さんが素晴らしかった。自身も姉を持つ妹である広香さんが天真爛漫なアナを演じていた。彼女がいるシーンは彼女から目が離せなかった。お姉さんもヤングエルサとして出演しているということで、機会が合えば実の姉妹のアナとエルサが見られるのか!と考えてしまった。


10年に及ぶ劇団四季アレルギーを吹っ飛ばしてくれたアナ雪。また見に行こう。