アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

保育士試験(実技)を受けに行った その2

もうどうにでもなれ!!!


◆音楽が終わってから言語まで

音楽、ほぼ記憶がないままに終わっていたが、次の試験が待っている。会場内も人が減ってきているので、適当な場所を見つけて座っていたらあっという間に言語の待機場所に向かう時間になっていた。
さらりとあらすじをもう一度確認して、待機場所に向かった。
音楽があそこまでボロボロだったからもうダメだろう。言語は次回受けるための練習だと思い気分が楽になっていた。
もうどうにでもなれ!!

◆言語試験

他の人の声が聞こえていたが、もう気にすることはなかった。なぜならもう諦めモードだったからである。
そして、試験室へ入室した。
部屋に入ると子どもに見立てた箱が置いてあるのだが、何だか滑稽で笑いそうになった。その瞬間に吹っ切れた。やるだけやって帰ろう。次回は会社の助成を使って無料で受けられるのだからと安心しはじめていた。
大きなカブを職場のこどもと一緒に読んでいるように話していった。
カブが抜けて、スープにするところで3分のタイマーがなる。
まぁちょうどいいだろう。これで何点取れたかで次回の対策を練ろうと思い、試験室を出た。

◆試験終了後

1日がほぼ終わりくたくたであった。
試験が終わってから訳の分からない不安が沸々と込み上げてきて、ガタガタと震えが止まらなくなった。今となっては、適応障害の不安だったのだと思う。
また次は12月だなぁと思いながら、ライブの日程と被っていないかだけ確認して安心して次回の手引きの申請をした。

あとは8/9を待つのみになった。どうせ落ちてるから仕方ないよねと思いつつ、一応保育士登録の手引きも取り寄せた。試験の申し込み手引きと登録の手引きが一緒に入っている見るだけでソワソワするファイルを作り出し、3日に1回は音楽の試験の惨劇を思い出し、落ち込む日々を1ヶ月過ごした。

つづく

次回

結果が来ないよ。

保育士試験(実技)を受けに行った その1

記憶が飛ぶってあるんだね。

 

◆前日まで


この記事でしれっと触れたが保育士試験の筆記試験に合格した。

複数の教科で点数が危ない橋を渡っていたり、2日目の方が試験慣れして点数が上がっていたりと突っ込みたいところはあるが、とにかく合格である。

次は実技がある。いくらなんでも実技は練習をしなければならない。言語は職場で読み聞かせをし続けたかつわたしが子供の時から大好きな大きなカブを選んで、大まかなあらすじと発声のみでどうにかなるにしても、ピアノなんて真面目に弾くのは15年近くぶりである。

ピアノはまず指が回らない。単音しか抑えられない。ヘ音記号が読めなくなっている。コードを解読し、単音にし左手はシからラの1オクターブしか触らないように楽譜を編曲した。それで1日30分は練習をした。
だんだん形になってきたのが6月の下旬あたり。テレビを見ながら弾き歌いできるレベルにまでなった。

そしてあっという間に本番を迎える。


◆ガイダンスから試験直前まで

会場まで向かい、ガイダンスを受ける。そこで衝撃の事実を知る。

わたしの試験午後!?

驚いてしまった。午前中か午後早い時間には終わると思っていたのに空白の4時間…。音楽が先で言語があとであった。

暇だし、髪染め行くか!!


ちょうどもうすぐプリンになりそうな状態かつ近くにいつも行っているカラー専門店の系列店があることを知っていたため、暇すぎるがあまり髪を染めに行った。ついでに髪も整えてもらおうという算段である。

そうと決まれば即予約、即美容院。綺麗に染めてもらう。


が、まだ2時間ある。

もう試験場に戻る時には試験を受けるギリギリがいいと思い、ファミレスで時間を潰す。

ボーッとしているとあっという間に試験1時間前になり会場に戻る。そうするとちょうどいい時間になっていた。

会場の控え室に行くとピリッとした空気が流れていた。そのヒリヒリした空気に飲まれそうになる。午後2番目の順番だったため、あっという間に呼び出しをされる。

◆音楽

控え室から出て、試験室の前に着く。わたしの前の午後1番の人が試験室に入っていった。
他の試験室の人もほぼ同時に試験室に入っていった。比較的短い曲のため、すぐに他の試験室の人達は試験が終わり出てきていた。
しかし、わたしの試験室の人はなかなか出てこない。耳を澄ますと、何回も弾き直しをしている。そこでわたしは不安に飲まれてしまった。怖くなってしまった。やっとわたしの試験室の1番目の人が出てきて、わたしが呼ばれるまでも結構な時間がかかった。もうそこで手が震えてきていた。
わたしの番になり、失礼しますと入室をして、受験票のシールを剥がせなくなっていた。手が震えているからだ。当然渡す手が震えている。
ピアノの前に座り、息を吸って弾き始めるがもうミスタッチの連続である。止まってはならない!止まってはならない!と必死に弾いて歌い続けるが、記憶がだんだん曖昧になって、気が付いたら最後の音を弾いていた状態だった。楽譜をファイルに入れる手がぶるぶる震えていた。灰になって燃え尽きつつも挨拶をして試験室を出た。


詰んだ。

おわった…。

極度の緊張の中って記憶って飛ぶんだね。

つづく

わたしがサウナで“ととのう”コツ

ここ1〜2年でとてもハマったものである。

ハマったきっかけはかるまる*1のレディースデー。2020年3月の初回にノリで行ったことだ。
今までサウナなんて熱いだけじゃないと思っていたのだが、目覚めてしまった。爽快になれるんだと驚いてしまった。

自分の中で“ととのう”コツもわかってきたので、メモをしておく。

◆湯通しをする

とりあえずあっためとくとスッキリ度が倍増する。温泉だと保温効果がある感じがいい。温泉でなくてもあつ湯にドボンしてじわりと温めておくのも好き。

◆サウナハットを被る

次の項目に通ずるのだが、頭があったまってしまうとすぐに水風呂に入りたくなってしまうので、サウナハットは大事である。頭の保護で気持ちよさが決まる。私が持っているサウナハット*2はタオル地なので気分で濡らしたり濡らさなかったりしている。冷たい水で濡らしたサウナハットを被るととても気持ちいい。


◆頭の中が熱々になるまでサウナに入る

時間を決めてしまうとそこに囚われてしまうタイプだから、時計は見ずにサウナに入る。
ジリジリと過ごして、体があったかくなって、末端まであったかさが巡って、ダーっと汗が出てきて、顔も頭も汗が出てくる。
ここで出たくなるのだが、少し我慢していると頭の中が沸騰してくる。ぐつぐつと頭の中が茹ってくる。しばらく沸騰させて何も考えられなくなったあたりでそこでサウナを出る。多分これ以上入っていると意識を失ったりサウナで動けなくなったりしそうなので、これ以上は試したことがないが、多分これが正解なのだと思う。

◆頭と息が冷たくなるまで水風呂に入る

サウナにハマって1年くらいととのうとはなんぞや?と思っていて、確かに気持ちいいけれど…となることが多かったのだが、水風呂の使い方に問題があった。冷たい!と思って出るのが早かったのだ。そもそもかるまるのサンダートルネード*3から入ったらそりゃめちゃくちゃに冷たい。
ひやっとする。肩までつかる。慣れてくる。今まではここで出ていた。我慢が足りなかった。慣れてきてからが本番だ。
慣れてきた後に気管支が広がってメントールの飴を舐めているかのようなスッとした息になる。そうなって数秒すると頭の中がピーンと糸を張ったようになる。ここまで来たら水風呂から出て休憩。


◆休憩は適当に

ここまでが上手くいけば正直休憩はどんな感じでも気持ちいいのだ。サ道のイメージで“ととのう“と脳内でサイケな模様とかが出てくるのかと思っていたが、私は頭の中が藍色に染まる。小さい頃から様々なことで気持ちよくなると頭が濃い青で満たされていくのだが、脳内が全て藍色になるのだ。こんなことはサウナ以外ではなくて新たな扉を開いた気がする。
またサウナに入りたいなと思ったらサウナにまた戻って、深い深い藍色に頭の中がなって満足したら上がる。それはその日の気分で変えている。


そして掴めてきたぞ!となって色んなところに行くのが楽しくなった。
もちろんサウナや水風呂との相性や自分のコンディション、周りの諸々…と運とタイミング次第ではもう少しスッキリできるのになぁとなるのだが、大体気持ち良くなれる。



こんなことを書いていたらまたサウナに行きたくなってきた。今度はどこに行こうかな。まだまだ行きたいところがたくさんあるんだ。

*1:池袋にある男性専用サウナ。4種類のサウナに4種類の水風呂で天国のような施設。月1回しかレディースデーがない。もっと欲しい。

*2:コンテックスのポケットがついているもの。ポケットに鍵を入れておくととてもいい。

*3:かるまるで1番温度の低い水風呂。水温は1桁。正気の沙汰ではない。

藤井風くんのライブに行った


わたしが風くんを認識したのはきらりである。めちゃくちゃ爽やかな曲だなぁと思って聴いていた。
そして、去年の10月、札幌。彼がMISIAさんに提供したhigher loveに出会った。誰が書いた曲かも分からなかったその曲に心が動かされた。感動して涙が止まらなくなった。
しばらくしてhigher loveが彼が提供した曲だということを知った。
こんなにも深い愛の歌をわたしよりも年下の子が書いていることに驚いた。彼に対しての興味が沸いてきた。

新しいアルバムが出たと聞いて、聴き始めた。
なんて素敵な歌詞を書く人なのだろうかと思った。ライブに行きたいと思った。

そんな時alone at home tourのお知らせが届いた。
ちょうど職場の近くの会場があり、仕事終わりでも行けるじゃないと申し込んだ。アリーナクラスでやっている彼のホールライブのチケットなので当たらないだろうと思っていた。


数日後

当たった。

目が点になっていた。お昼休みに職場近くの磯丸水産で海鮮丼をモリモリ食べている最中に当落を見たのだが、その後の海鮮丼の味が一切しなかった。本当に驚いた。

少し経って事態を飲み込んだ。わたしは風くんに会える。とても嬉しかった。あの曇りのない声が聞けるんだとワクワクしていた。

藤井風TVやアルバムを聴いてその日を待ちつつ、保育士試験や仕事に忙殺される日々であっという間に6月になっていた。





6月6日
この日は休日で保育士試験の筆記の結果の郵送が始まる日でもあり、1日ソワソワしていた。1日に何度もポストを覗き、結果が来ていない…と不安になり続けていた。彼のライブのチケットの座席がわかる日だとはわかっていたが、試験の方が気になるのだ。
15時になり、結果より先にチケットのダウンロード時間になった。今までとんでもなく悪い席を幾度となく引いてきているので、どうせ1番後ろだからオペラグラス持っていかなきゃいけないなと思いながらチケットをダウンロードした。



やば。


気持ちがもう迷子である。脳の処理が追いついていない。そしてポストを見ると保育士試験の筆記が届いていて、無事に合格で実技試験に進めることになっていた。盆と正月が同時に来たような気持ちになった。あんなキラキラとした彼を間近で見られるだけでなんだかテンションが上がってきた。テンションが上がりすぎて気持ち悪くなっていた。翌日仕事なのにも関わらず夜中の2時まで眠ることができなかった。

翌日気持ち悪いままに仕事に行ってライブに行くことを伝えていたので、最前でしたと伝えると目を見開いている人がいたり、声にならない声を出してる人がいたりとわたしと同じようなリアクションをしていた。


そして当日がやってきた。
仕事を強制終了させてもらい、送り出してもらい森のホールに向かう。ふわふわとしながら最寄駅につき、タクシーに乗る。
ホールが見えてきた。ドキドキしていた。
買うつもりのなかったグッズを買って着替えて席に向かう。

自分の席に向かうともう開演が近かったため、ほぼ席が埋まっていてその席だけぽっかりと空いていた。

本当に最前だわ。


チケットに書いてあるので当たり前の話なのだが改めて席につくと圧倒された。ステージが目の前にあるのだ。


そしてあっという間に開演時間がきて、ライブが始まった。


もうレポートが上手い人がレポートしてくれているのでわたしは詳細は書かないが本当にすごかった。

音源と同じ声がする。パワフルだが、繊細な彼の歌声が響くのだ。スーッと彼の声とピアノの音が体を通っていく。
そして足音も鍵盤を叩く音も全部全部聞こえる。彼が生きている。目の前で動いている。
遮る物がなく目の前に彼がいる。下手側だったのでピアノを弾く彼の表情がよく見えた。とても美しかった。
キラキラとした曇りのない瞳は画面で見た彼と全く変わらず、小さな子供のようだった。仕事で関わっている3歳と同じ目をしているのだ。大人でこの澄んだ瞳をしている人をわたしは生まれて初めて見た。心が清いからなのだろうか。だからこそ彼からこの曲たちが生まれるのだろうか考えてしまった。


わたしは圧倒されて口がぽかんと開いていた。本当に圧倒されるとわたしは涙は一滴も出ずに目を見開いたままフリーズしてしまうのだと知った。ふと隣から音がするので見ると隣の綺麗なお姉さんは泣いていた。気持ちがよくわかった。こんな素敵なものをこの至近距離で見たらそれは涙が出るだろうと思った。

彼の家を覗き見て、1日を共に過ごしているような感覚になるライブで、観ていて退屈になることが1秒たりともなかった。きっと実際にもこんな風に彼は日々を過ごしているのではなかろうかと思った。



そして幕は下りた。あっという間の2時間だった。ホールから最寄駅までの15分の徒歩もふわふわと余韻に浸りながら歩いていたらあっという間だった。

もっと見たいと思う気持ちはあるのだが、リセールは申し込まないと決めている。その分色々な人にこの素敵なツアーを見てほしいと思っている。

より一層彼の魅力に気がつくことができたライブだった。今度は大きな会場で大所帯の編成で見てみたい。そもそももうチケットが当たる気がしないのだが、きっといつか見られる気がする。その日を楽しみに待とう。

戦争はいけない

今までそんなことなんて思ったことなかった。
別の国がやってる戦争なんてわたしには関係ない。普通にわたしが生きていければそれでいい。そんなふうに思っていた。

MISIAさんのライブで「花はどこへ行った」を聴いた。曲を聴いているとこどもの顔が浮かんで自然と涙が溢れてきた。曲を聴きながら悲しい気持ちになったのだ。

なぜ涙が溢れてきたのかがその時にはわからなかった。冷静になってから考えると納得した。
戦争ではこどもの笑顔が奪われてしまうからだ。
今、こどもと関わる仕事をしていて日々成長を見ている。2〜3ヶ月前には考えられなかった成長が手に取るようにわかるし、その成長を見るたびに仕事をしていてよかったと思うのだ。他者に興味がないと思っていたこどもがわたしの方に向かって走ってきて新しいTシャツを自慢げに見せてくれたり、人見知りをしていたこどもが腕を広げたわたしの胸の中に飛び込んでくれるようになったり、日々の成長がキラキラと輝いているのだ。

きっと戦争に巻き込まれてしまったら無邪気なこどもたちの笑顔が消えてしまう。そんなことを無意識に考えていたから、涙が止まらなくなったのだ。今ウクライナではそんなことが起こっているのだと思う。

絶対に戦争はいけない。そう心にグッと刻むことができた。自分にできることをひとつでも行っていきたい。

10年

音楽ライブに行き始めてからちょうど今年で10年になる。初めて行った下北沢shelterの空気は今でも鮮明に思い出すことができる。あれから10年経ったなんて信じられないくらいにあっという間の10年だった。
この10年で音楽がこんなにも好きだったのだと知ることができた。
ライブに行き始めた時には17歳、高校2年生だったわたしが30歳目前になっている。こんなにも音楽がわたしの人生を彩る大切なものになるとは思ってもいなかった。


10年間でいろんなバンドやアーティストと出会っていろんな音楽を聴いた。
この10年で聴いていた多くのバンドも活動休止や解散してしまった。続いているバンドでもオリジナルのメンバーで続けられているバンドはほとんどいない。
そして音楽をやめてしまったバンドマンもいるし、天国に旅立ってしまったバンドマンもいる。
そのことを考えると今も胸がギュッと痛くなる。

ただ音楽は鳴り続けている。終わってしまったバンドの曲も再生するとわたしの隣に寄り添っててくれている。音楽を続けているバンドの新曲が出ると未だにときめく。発売日のワクワク感は今も昔も変わらない。新しいアーティストと出会うことは今でも楽しい。こんな音楽があるのか!こんな素敵な人がいるのか!と知ることができることがとても楽しい。ずっと探究する心を忘れずにいたいと今も思っている。

大学生になってから出会ったあるバンドマンさんにこんなことを言われたことがある。
あなたの聴いている音楽は間違いないから自信を持ちなさい。と。
同年代とは違う音楽を聴いていること、流行りの音楽を聴くことができなかったことをコンプレックスに思っていたのだが、そこで救われた。

わたしの好きな音楽には自信を持って生きていきたいし、もっともっと好きな音楽を見つけていきたい。

今年はどんな音楽に出会えるのかな。

保育士試験(筆記)を受けに行った話

もうとりあえず受けに行って散るしかない!

偉そうなことを書いたくせに何もできずにこの日が来てしまった。
仕事がバタバタすぎてほぼ勉強できずに試験当日を迎えてしまった最悪のパターンである。
参考書は何回か読んだっきり、一問一答問題集なんて試験当日に初めて開いた、過去問?なにそれ?解いたことないよ!の状態でなるようになるで試験を受けに行った。

詳しい試験の内容は伏せるが、集中力が続かないため文を読むのが早いわたし20分でマークミスがないかなどの見直しまで終わり暇を持て余し始める。

そこで思いつく。

途中退室して次の時間の重要ポイントだけ読んでおこう!


試験開始後30分で途中退室ができるため30分経過で即途中退室をして、次の試験の重要ポイントを次の試験までの50分で頭に叩き込む作戦で最後の悪あがきをした。

案外うまく行った。
付け焼き刃の知識も結構頭に入っていて、これさっきやった!と自信を持ってマークをできた。
そしてよく考えると、元々児童学科卒で何科目かは薄ぼんやりと頭に入っている、料理が好きで栄養的なものは得意だった、親が医療従事者で保健系の知識は小さな頃から教えてもらっていた、未就学児と関わる機会が多くしてはいけない対応が頭に入っていた…などなどわたしに有利な試験であることは間違いなかった。

これはもしかしたらいけるかもしれないと手応えを感じつつも2〜3科目は落としてるだろうけど、試験勉強という勉強をしていない割には上出来だよねと帰宅した。

いろんな会社が出している解答速報を見ながら丸をつけると

6割全部越えてるかもしれないな!

となった。嬉しい誤算である。

どうなるかはわからないが7月の実技試験に向けて動き出したいと思う。ピアノと言語…どうなることやら…。

がんばるぞー!