アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

新型コロナウイルス感染症になった その5

色々ですぎた5日目と眠り姫の6日目

前回の話

自業自得な体調不良に振り回される2日間。

9月4日6時半〜

起床と共に体温を測る。そしてお腹がゴロゴロするためお手洗いへ。よく出るお茶は本当によく出るようになるらしい。これは脱水する!と思い、水を多めに飲む。そして2度寝。ご飯を取りに行き、食べる。またお腹がゴロゴロする。お手洗いに行く。水を飲む。

9月4日9時半〜

リングフィットのながらモードを使いながら、光のお父さんという映画を見る。吉田鋼太郎さんが好きなので、見ながら笑ってしまった。お腹は相変わらずゴロゴロしていてたまにお手洗いに行く。ゲームでここまで人と仲良くなれることに羨ましさを感じる。いいなぁ…と思ってしまう。そもそもRPGをあまりやらないタイプのため私の人生ではこんなことは起こらないだろうなと思って少しだけ悲しくなる。
お昼ご飯を取りに行き、食べる。やっぱりお腹はゴロゴロする。健康に出る人が飲んではいけないものだった…。本当に出ない時に使うものだ…となる。
もう調子が悪すぎるので早々にお昼寝モードに入る。

9月4日15時〜

目覚める。お腹のゴロゴロは落ち着いたようである。そして、ふとホテル療養の中で不安になったり緊張したりしても引きずることが少なくなったことに気がつく。適応障害になり、ほぼ同時に家族が入院手術となり、適応障害を起因とした部署異動をしてと怒涛の1ヶ月半を過ごしていたなと思った。実は医者にかかった時もちょっと休んだ方が…診断書は書くよと言われていた中でも働き続けていた。騙し騙しやっていたところはあって、いつ自分が壊れてしまうか怖かった。コロナに罹ってしまったということは不運だが、部署ごと休みになったため自分だけが仕事をしていないという罪悪感に苛まれることなく休めていたことに気がついた。だからこそ心も回復できているのだと思った。この休みは私が心も体も休むための休みだとここで納得した。あと2日思い切り休もうと思えた。


9月4日17時半〜

久しぶりに笑点を見る。大喜利の助っ人が女性の落語家さんで存じ上げない方だなと思っていたが、真打昇進に伴って名前が変わっていたことを知る。大喜利に女性がいるとなんだかぱっと画面が華やぐなと思った。そして回答者のおじいさま方の元気さに圧倒されてしまった。なんであの人たちあんなに元気なんだ。少なくとも今の私より木久扇師匠の方がよっぽど元気そうである。
笑点が終わるとご飯の時間である。フリーズドライなめこのお味噌汁は侮っていたが、想像以上に美味しかった。温かいご飯とお味噌汁さえあればわたしはどこでも生きていけるのかもしれないとなる。

9月4日20時〜

リングフィットとフィットボクシングをやる。リングフィットは強い技を手に入れてセットしてやってみると筋肉にとても効く。お腹がゴリゴリなる。筋肉が鍛えられてる気がした。それに比べるとフィットボクシングは有酸素運動なので楽しく汗をかけていた。どちらも楽しいなとなった。
お風呂に入り療養期間終了日が見えてきたため、下着類のみ洗濯をする。最初の頃と比べたら洗濯も手際が良くなりささっと終わらせられるようになって感動した。
情熱大陸を見て、カレーが食べたくなる。療養期間が終わったら食べるんだと思う。
そんなこんなで眠りにつく。

9月5日8時〜

検温は眠たい中したが、気が付いたら8時だった。寝坊である。朝ご飯を慌てて取りに行く。ギリギリセーフだった。朝ごはん抜きは嫌だ。
朝ご飯を食べるととても眠たく眠る。
眠っていたらまた放送が流れて昼になっていた。早い。
昼ごはんを食べる。美味しい。まだお腹が空いていたので、アメニティーと一緒に置いてあるカップ焼きそばをもらっていたのでそれも食べる。寝ていてカロリー消費をしていない割にお腹が空くのが不思議だったが、空いているものは仕方がないのでペロリと完食する。
完食したら眠たくなってきたのでまた眠る。

9月5日16時〜

いくらなんでもねすぎな気がしたがこの時間まで起きられなかった。検温をしてゴロゴロとする。ながらモードで遊びながら、VODの探偵ナイトスクープを見る。トランペットの話でめちゃくちゃ笑う。私は借りていたものがあったのに借りた相手がこの世からいなくなってしまったということがあったので返せてよかったねと最後にはほっこりする。
そんなことをしているうちに夕食の時間になる。モゴモゴと食べながら一生住めるかもしれないと本気で思い始める。明後日の朝には追い出されることを考えて若干落ち込む。快適すぎるのだ。

9月5日20時〜

リングフィットとフィットボクシングタイム。リングフィットが楽しくなってきて日に日にプレイ時間が長くなる。そんなに体力も落ちてない気がする。フィットボクシングで汗を流して、お風呂に入る。入浴剤の減りようを見て日数が経っていることを感じた。あと2回寝たら帰るのだと思うとなんだかあっという間の日々だった気がする。

9月5日24時〜

当然ながら眠れない。しかしここで生活リズムが狂うと仕事に差し障りが出てくるため、睡眠薬を飲んで眠る。結果14時間寝ていた6日目である。

新型コロナウイルス感染症になった その4

色々気がつく3日目と差し入れをしてもらう4日目

前回の話

西新宿五丁目のラプンツェル、気づきを得てさらに快適な療養生活を送る。

9月2日6時半〜

起床。眠い。頭がぐるぐるしながら起き上がって体温を測っていた時に気がつく。
体温計とパルスオキシメーターをベッドサイドに置いておけば、起きなくてもいいんじゃない?携帯も枕元に置いているのだから起きあがらないでできるんじゃない?となる。記録と質問への回答を終えて二度寝モードに入る。

9月2日7時45分〜

朝ごはんの時間である。食パンを食べる時には口の中が乾燥していてスープが必要だった。そのため持ち込んだカップスープを飲む。あたたかいスープがあると一気に食事が華やぐことに気がついた。カップスープとお味噌汁を差し入れしてもらおうと決めて、フリーズドライのお味噌汁をAmazonで自宅に届くように注文する。

9月2日14時〜

お昼ご飯を食べ終わって、お風呂掃除をしている時に、あ!と気がつく。気づきが本当かを確認するために、療養スケジュールを見て確信する。
ここ1番下の階だ!
リングフィットをやる時に下の人のご迷惑になってしまうと思い、大きく動くものはやらないように昨日はしていたのだが、無駄な配慮だったことに気がついた。思う存分動き回れる!!と嬉しくなる。
野菜ジュースを飲んで、お昼寝タイムにする。普段仕事をしている時間にお昼寝できる背徳感をニヤニヤと味わいながらお昼寝をする。お昼寝やめたいと言っていたが辞めるつもりなんてこの時点でなくなっていたと思う。
職場のラインを見るともう1人陽性者が出た模様。生き残りが1人になってしまった。もう部署ごと休みにはなっていたため、影響はなかったがコロナウイルスの怖さを感じた。


9月2日18時10分〜

お弁当を取りに行くと駅弁が並んでいた。週に1回程度豪華なお弁当が出るというのは見ていたがこれか!となった。4種類の中から選べて、知ってる味であれば安心できるため、食べたことのある牛肉どまん中を選ぶ。温めても食べられると書いてあったが、冷たい状態で食べたことがあり十分美味しかったため、冷たいまま部屋に持ち帰る。
冷たいまま食べられるお弁当のため、早い時間に食べなくてもいいや!となり、リングフィットを始める。思う存分やれるぞ!と走ったり、ステップを踏んだりと楽しむことができた。
お風呂に入り汗を流したところで、お弁当を開けて食べる。やっぱり美味しい。アメニティーの温かい緑茶と持ち込んでいたスープを飲みながら食べたがこんな贅沢をしていいのだろうか…となる。お金を払ってないのにと申し訳なさが勝ってきた。


9月2日22時〜

MISIAさんのオールナイトニッポンを聴く。毎月欠かさず聴いている番組だが、まさかこんな場所で聴くことになるとはと思う。いつも通りのMISIAさんの声に癒されながら洗濯をしていた。慣れてきて、いちいち絞らず濯ぎの回数を増やせばいいことにここで気がつく。かなり洗濯が楽になった。そして最後に絞る時に思いきり絞れるので、水がよく切れるようになった。
これなら乾くぞ!となり洗濯地獄から解放された。
ラジオが終わる24時に就寝。健康的である。

9月3日6時半〜

目覚めて体温を測り、ベッドサイドの体温計とパルスオキシメーターに手を伸ばして計測をして、入力をする。全てベッドの中で終わる。嬉しい。当然二度寝。7時45分ごろに起きて朝食を食べる。テレビをつけてサタプラを見る。普段見られない番組のためずっと見てしまう。そして王様のブランチにスムーズに移行する。家族に差し入れの物品について確認をする。
スープ類とお茶パック、クレンジング、チーズアーモンド、ゲームに使うものを持ってきてもらうことになった。感謝である。

9月3日12時〜

昼食を食べながらスープを飲む。汁物は偉大である。アパホテルのVODが無料で見られるため何かないかと見始める。大好きな錦鯉の単独公演が見られることに気がつき、ウキウキしながら見た。テンポと何も考えなくていいバカさがありながらも計算されている錦鯉のコントが大好きなのだが、1時間半笑いっぱなしで見ていた。CRまさのりがとても好きだった。高知だよ!というツッコミは秀逸である。お笑いってパワーをもらえるなと思う。
ケラケラと笑った後にはまたお昼寝タイムになる。
検温をして報道番組を見る。夕方のテレビもいいよね。

9月3日18時〜

夜ご飯の時間である。昼のうちに差し入れをしてくれていたものを、食事を受け取る際に同時に受け取る。見事に私が言ったものしか入ってない差し入れで笑ってしまった。スープを得たのでご飯を食べながらスープを飲む。幸せだ。自分で持ってきていた生の果物が徐々に限界を迎えそうだったため消費し始める。果物が好きなので、果物のおいしさに感動する。みかんっていいね。ジョブチューンなどの番組をゴロゴロしながら見つつ、頃合いを見てリングフィットを始める。リングフィットの後に、フィットボクシングも行う。有酸素運動はすっきりする。差し入れしてもらったのはフィットボクシングで使う部品もあったのだ。
そのあとよくでるようになるというお茶を飲む。効かないじゃんと思っていたら翌日詰む。
お風呂に入って今日もゆったりと過ごす。

9月3日22時〜

恒例の洗濯タイムを終えて、ダラダラする。この日で療養が折り返しだったのだがあまりにも快適すぎて日常生活戻れるのかが不安になってくる。その不安を抱えるだけ無駄だと思って不安の薬を飲む。すぐ効いてまぁ復帰しようとすれば復帰できるっしょ!という思考になり眠る。




つづく

新型コロナウイルス感染症になった その3

ホテル、快適すぎるな。

前回の話

疲れ切った中2日目の朝を迎えるがだんだんホテルをエンジョイしようとしだす。気分は西新宿五丁目(ギリギリ渋谷区)のラプンツェルである。

9月1日6時半〜

検温の時間である。気持ち悪い。眠れていないからだ。テーブルに体温計を置いていたため、起き上がるが起き上がった瞬間に気持ち悪い。視界がグルグルと回っていた。なんとか起き上がって体温と酸素濃度を測る。測り終わって入力が終わった瞬間に記憶が飛ぶ。


9月1日7時半〜

朝食の時間だという放送が流れる。そこで目覚める。ノソノソと起き上がり、朝ごはんをもらいにいく。パンとサラダとハム。ちょうどいい朝ごはんである。眠たい目を擦りながらもそもそと食べていると目が覚めてきた。ラヴィットをボケーっと見つつ、眠たくなったので寝る。


9月1日10時半〜

起きた。頭がだいぶスッキリしてきた。そんな中スマホを見ていると、7年ぶりの推しの近影を見つけてしまうというプチハプニングが起こる。元気だ!生きてた!となり涙が止まらなくなる。1時間くらい泣いたり喜んだり現実を見つめて虚無になったりを繰り返していた。


9月1日12時〜

ご飯の時間である。ご飯がそこそこ私には合っていたため、ウキウキで受け取りに行く。10分弱時間をずらすと空いている中で取れることをここで知る。お弁当はそんなに早くなくならない。なくなることはないということにここで気がつく。だんだん味覚嗅覚が戻ってきてご飯を元気にもぐもぐしていた。そしてビタミンや鉄分などを補うためにもらい物で持ってきていたサプリメントを飲みはじめる。食事をしてても罪悪感が減る。
そして、職場ラインが動く。
上司、無症状だが陽性。
生き残りはあと2名である。2名生き残ったところで仕事が回るかといえば回らないのだ。ほぼ詰みである。部署ごと休みが決まり、私ともう1名の復帰を待っての再開になるとのことだった。仕事のことを一切考えなくていいのは救いだったが、仕事復帰の日から本格的に働かなくてはならないことがここで決定した。その日に体力が落ちていて使いものにならないということは避けたいと思った。


9月1日13時半〜

お昼ご飯を食べ終わって眠たい。当然だが、昨日の夜が遅かった。そしてやることもない。寝るか!ということでお昼寝タイムになる。このお昼寝タイムは療養期間が終わるまで続くことになる。お昼寝したら生活リズムが狂うのだが、やめられなかった。すやすやと眠りに落ちる。


9月1日16時〜

夕方の検温の時間である。寝起きのため体温も脈拍も低く、ふわふわしながら入力を済ませる。持ち込んだ野菜1日これ1本を飲んで野菜を食べたつもりになる。夕方の情報番組を見る。テレビの音を聞きながらお風呂掃除をする。お風呂掃除用のスポンジは置いてあったので、それを使って持ち込んだ食器洗い洗剤を薄めて使う。普通にピカピカになる。ついでにトイレにも食器用洗剤の原液を撒いて放置する。毎日洗うことができて清潔だということが自分の安心感につながっていた。


9月1日18時〜

夜ご飯の時間である。時間をずらすとスッと受け取れ、スムーズにレンジで温めてあたたかいお弁当を食べることができた。そして、このあたりで猛烈に汁物が欲しくなる。インスタントのスープなどを持ち込んではいたが毎食飲めるほど持ち込んではなく、飲もうか迷ってやめるが物足りない。ここで気持ちが落ち込む。


9月1日20時〜

リングフィットをやる。昨日Switchを繋げたもののやる気がしなかった。リングフィットの運動時間で15分ほど行い終わりにする。その時はまだドタバタしないようなメニューを選んで行っていた。少し汗ばんできて、お風呂に入る。ゆったりとぼーっと浸かっていた。好きなピアニストさんのインスタライブを見ながら幸せな気持ちになっていた。
お風呂から上がりドライヤーをしながら持ってきたフェイスパックを貼って優雅な時を過ごそうと思っていたら、ドライヤーから冷風しか出なくなる。困った。ホテルのスタッフさんに連絡して交換してもらう。なぜか交換してもらったものの方が質がいいものだった。2/3くらいの時間で乾いた。
すっきりさっぱりして冷蔵庫で冷やしていたコーラを飲もうとしたところ、過冷却の状態になっていた。開けた瞬間に凍り始めた。なぜ自宅で挑戦した時には全くできないのにこういうどうでもいい時に限って成功するのだろうかと不思議である。凍ったものなんて飲めるとは思ってなかったので喜んで飲む。


9月1日22時〜

洗濯の時間である。昨日より洗濯の量も少なく、楽勝かと思いきや、トラップにはまる。Tシャツ、分厚いものを持ってきていた。自分で洗濯をするのであれば絞りやすい薄いものにすればよかったのに分厚いものであった。この時点で1枚は療養期間では着ないとスーツケースに戻した。リラコは絞りやすかったが、Tシャツのことは考えていなかった。ぎゅーっと絞って干していったが、これは乾くのだろうかと不安になる。干し方と絞り方が悪かった昨日洗濯した靴下が猛烈にカビ臭くなっていて、この失敗は繰り返してはならない…となりつつこのTシャツは乾くのだろうか…と何回もなる。

9月1日23時半

昨日眠れなかった反省を活かし布団に入ったが、朝も昼も寝ている人間、それは眠れない。疲れているのに眠れない。持ってきていた睡眠薬を使い眠りに落ちる。


つづく

新型コロナウイルス感染症になった その2

ここからは時間との戦いである。

さて、前回で陽性が判明した私。絶対に家族にうつせない戦いがここから始まる。

実は家には手術を1ヶ月前に終えて治療中の家族がいたのだ。正直他の家族にうつってもピンピンしてそうだが、抵抗力のない家族には絶対にうつしたくなかった。

8月30日昼過ぎ

14時前に陽性者登録の完了メールが来る。保健所からマイハーシスのメールも来る。東京都の宿泊療養の申し込みができるようになったため、14時半ごろに宿泊療養の申し込みを始める。15時ごろ問診のような質問の電話がくる。もう熱が下がってきているため、自分の現在の状況等もはっきりと答えることができた。
問診の電話後に父から連絡が入る。宿泊療養の申し込みをしてくれとの連絡だった。
もう申し込み済みである。父には申し訳ないが、父よりもかなりフットワークは軽いのである。

8月30日夕方

申し込みをしてどっと疲れたのか少し眠ってしまう。18時ごろ電話がなって出ると、明日から宿泊療養に入れるとのことだった。西新宿五丁目のアパホテルに1週間お世話になることになった。5月に行った帯広旅行から使っていなかったスーツケースを出す。適当に荷物を詰めていくが不安でどんどん荷物が増えていく。
家族が帰宅して、ざわざわとリビングでしている様子が気配で分かった。
夜ご飯を食べ、準備をしつつ眠ってしまった。

8月31日朝

濃厚接触者の家族は1人は毎日の抗原検査で出勤ができ、1人は自宅待機となった。買い物は不要不急ではないため自宅待機の家族に必要になりそうなものをメモに書き、買い物に出てもらった。お菓子や日用品、果物など私にとって必要なものを全て買い揃えてもらった。昨日の夜の時点でAmazonでも頼んだものがあり、それも届き荷物ができた。


8月31日昼

昼頃に連絡があり14時半ごろにタクシーでお迎えに来てくれるとのこと。西新宿までかなりの距離があるがタクシーで運んで貰えることに感謝である。
自分で素麺を茹で、茹でてある肉を乗せて宿泊療養前最後の食事をする。なんだか味が薄ぼんやりしている。そんな時もあるかと思っていたが今となっては完全に味覚と嗅覚障害であった。
絶対に療養中には食べられないであろうシャーベットをボリボリと食べ1週間ばかりアイスと別れを告げる。


8月31日14時半

お迎えの時間が来た。直前になって薬が足りないだろうということで取りに行くなどしてタクシーを待たせる。相乗りだったため、他の人に迷惑をかける。相乗りの方の荷物を見て、愕然とする。家族にお前荷物多いなと言われる。
わたしは一応適応障害で不安になったらすぐにパニックだから荷物が多いことを分かっていないのかと思う。
タクシーが自宅から離れていく。流れていく景色を見つめて、不安と若干のワクワク感で胸を膨らませてホテルに向かった。1週間の隔離生活が始まる。


8月31日15時

ホテルに到着する。血圧を測り、お茶をもらい自分の部屋まで向かう。荷物が多いかつ部屋が遠かったため、ヘトヘトになる。看護師さんからの問診を受け1週間の滞在なのだなぁとあらためて感じる。パルスオキシメーターで心拍数を測るが、心拍数が高いですと言われ続ける。ついたばかりのホテル、電話での問診という慣れない状況に緊張してるんだから当たり前であると冷静につっこんでしまった。
そして、問診後に気がついてしまったマイナートラブルにより、部屋移動となる。落ち着く暇もなかった。ヘトヘトになりながらまた大荷物を持って移動する。シングルの部屋ではあるが、ベッドがセミダブルで普段の部屋よりよっぽど快適である。寝ながらテレビを見られる。そして、持参したSwitchをテレビに繋げたり、ミラーリングを使って動画を見たりと早くもエンジョイし始める。もう解熱して1日経ち味覚と嗅覚、鼻水以外は元気なのだ。


8月31日18時

部屋を移動しいろいろ準備をして、着替えてホッとしているとあっという間に夕食の時間である。放送が流れる。食事が楽しみであり同時に食事が一番の鬼門であった。放送と同時に部屋を出るとロビーには人がたくさんいて人酔いをしながらもお弁当を手に取る。


見た瞬間にこれなら食べられるぞ!となった。
レンジもあり、温めることができた。普通にお米が美味しい。それだけで私の幸福度は上がっていた。そしてペットボトルのお水は飲み放題とのことで、3本部屋に持っていく。水が飲み放題のため、ペットボトルにお茶パックを入れて水出しをして飲むことにした。緑茶や野菜ジュースもあったのだが、飲み慣れていないためなるべく飲み慣れたものを飲みたいと思った。精神衛生上もそれがよかったようだ。

8月31日22時

ご飯を食べ、お風呂に入り、テレビを見てゆったりと過ごしていた。そして洗濯をしようとした。まぁ、大変だった。浴槽に水を溜めてつけ置き洗いをしたが、濯ぐのが辛いのだ。1回1回絞って濯ごうとしたことが悪かったのだが、体力を根こそぎ持っていかれているような気がした。疲れてしまう。全て干し終わるまでに1時間。絞ってすすぐを繰り返して握力が消えていき、弱くなっていたためほぼ絞れてない状態になる。先が思いやられる。洗濯機の偉大さを知って、洗濯機に感謝をしていた。
その頃、職場でもう1人陽性が判明する。陽性者と何もない人が同数になった。

8月31日25時

眠れない。慣れない場所で鼻づまりもひどくなかなか寝付けなかった。いっそここで振り切ってテレビでも見てしまっていれば、気持ちが楽になったのだけど、切り替えられなかった。ウダウダと仕事のことを考えしょんぼりとしていた。しょんぼりしているうちに疲れのピークが訪れて、気絶するように眠っていた。

つづく

新型コロナウイルス感染症になった その1


とうとう来たよね。

夏の終わりにとうとう流行病にかかってしまった。2年半で流行に乗ってしまった。今回はその経緯とホテル療養について書いていきたい。
 

8月28日早朝

喉が痛くて目が覚める。だいたいこういう目覚め方をすると体調が悪くなることを私は知っていた。あぁ、風邪ひいたかな…この週末はゆっくりしようと思いながらもう一度眠りに落ちた。


8月28日昼

喉が痛い。いがいがする。身体もぽかぽかとしだした。そんな時に職場のグループラインが動く。
先輩が発熱し、咳をしていた先輩の子供が陽性とのこと。

終わった

9割方私も終わったと思って、体温を測る。
36.8度
普段なかなか36.5度を上回らない私、ここで家族から距離を置き始める。



8月28日夕方

どんどん体がぽかぽかとしだす。
うん…なんかもうアウトだよね…。
体温を測ると37.5度。
数年ぶりの発熱である。喉の痛みに耐えカタカタと震えながら、薬を飲む。
食事は食べられるものを食べ、眠る。多分アウトだと思うけど熱下がらないかな。


8月29日朝

目覚めてみると体が汗まみれ。
これで熱も下がって元気になれる?と思い、熱を測る。
37.8度
昨日より上がってる。これはもう確実にアウトだ…。
かかりつけの内科に連絡をしてみたが、検査をしていないとのこと。保健所に連絡をして検査をしている病院を教えてもらう。
発熱していて交通機関を使わずに行ける病院が1軒しかなく、そこに電話をする。
家族がどうであれ20代で基礎疾患なかったら見られません!ときつい口調で門前払いをされる。熱で弱っている中でそんな対応をされたらもう2度とその病院にはいかないであろうと心に決めた。
まだその時点で午前中だったため、都の抗原検査キットを申し込む。翌日には届くそう。


8月29日昼

さらに熱が上がっている気がしたので、熱を測る。
38.0度
今回の体温最高地点がここである。
つらい。職場に連絡をし翌日のお休みをもらう。
ずっと梨食べてお茶飲んでるだけになっている。
体重が3キロ落ちる。
口内炎ができていて、他のものを食べるのも辛かった。梨とお茶で繋いでいた。


8月29日夜

解熱剤が切れて、また熱が上がってくる。感覚でわかるため、熱を測らず解熱剤を飲む。
夕食で冷しゃぶを目の前にしたが、かけたドレッシングが悪く、酸っぱさしかわからない。この辺りで若干味覚と嗅覚がやられていた。


8月30日朝

朝起きて、熱っぽさがなくなっていた。
体温を測る。
36.7度
解熱剤の効果はすでに切れている時間帯である。解熱したようだ。ただ鼻水が止まらなくなっていた。ずるずるとしながら、抗原検査キットの到着を待つ。
ご飯を食べるタイミングを失い、ウロウロとただただ待っていた。


8月30日昼

12時少し前に抗原検査キットが届く。鼻をぐりぐりするタイプであった。自分でくすぐったいところをぐりぐりしてくしゃみが出てくるのがなんとも滑稽だなと思いながら、鼻をぐりぐりして検体をとり液と混ぜ、キットに垂らす。
15分から30分は待たなければいけないキットなのにも関わらずものの10秒で陽性のラインが出てくる。
でしょうね。
陽性者登録センターに登録をする。
陽性であることを職場に連絡して、休みをもらう。
ラインを見る限り私の他にも体調不良者が出た模様。職場壊滅するのでは…?と一瞬思う。それは現実のものとなる。
家族にも連絡をして次に何をすべきかを考えた。
ホテル療養の申し込みである。


続く

保育士試験の結果とその後

大事な書類に限って事故るねぇ!!!!

とうとう結果がきてしまう。どんな結果か早く知りたい。


◆ソワソワする日々

音楽での大失敗を引きずり続け、3日に1度は落ち込む日々を過ごしていた。病気が分かったり、病気に伴う部署異動があったりとドタバタと7月を駆け抜けていた。そして、8月がやってきた。



◆待てど暮らせど…

8/8がとうとうやってきてしまった。ソワソワしながら1時間に1回ポストを覗いていた。でも、来ない。8時から18時までポストを覗き続けたが来なかった。都内から都内のはずなのにこなかった。なぜだ…。そこで不安に飲まれてしまった。普段なら耐えられるはずの結果がわからないことがここまで心を消耗するとは思っていなかった。元々郵便の遅配や誤配がある地域のためいつ届くか分からないことが不安だった。


◆問い合わせ…そして

調べていると、問い合わせをして結果を教えていただいている人がいた。仕事をする前にどうしても不安が抑えられず、翌日保育士育成協議会に問い合わせをしてみた。落ちているにせよ早く結果を知って落ち着きたかった。
氏名や生年月日、受験番号を伝えると試験の結果を聞くことができた。
合格です。
そう言われた瞬間肩の力が抜けてふぅ…となった。
驚きや嬉しいよりも教えてもらったことによって不安が落ち着いたからだ。
落ち着いてから合格…合格…と噛み締めていた。


◆ハガキが来ない

はて合格と言われても、ハガキが来ない。
ハガキが来ないと保育士証という保育士として働くために必要な証明書の手続きに進めないのだ。しかも、手続きには月毎の締め切りがある。8月分は8/12必着である。その申請の締め切りを過ぎて、保育士証が1ヶ月遅れるとそのまま1ヶ月分の資格手当(それなりに大きい額)ももらえないのだ。それは困る。
8/9も届かなかった。ちなみにSNSを見ると北海道にも、大阪にも、福岡にも届いている。わたしが住んでいるのは小笠原諸島なのだろうかと一瞬考えた。そんなことはない。都心だ。
私の挙動不審さにここに住んでから数々の誤配、遅配を経験していた家族がキレていた。郵便局に問い合わせをして見つかり次第すぐ配達ということになった。



◆とうとう届く結果ハガキ

8/10午前。家族がハガキを受け取る。8/11は祝日のためこの日に郵便局で発送しなければ保育士証の手続きは間に合わない。家族にお金と手続き書類を託していたため、郵便局で振り込みや発送をしてもらう。
終わった…。間に合った…。と職場で安堵していた。



◆点数について

問題の音楽、50点満点の6割合格のため30点ということはギリギリであった。多分あれで止まっていたら不合格だったのだと思う。
言語はあまり力を入れずだったため、これだけ得点できていることに驚いた。

◆まとめ

ギリギリでも合格は合格である。付け焼き刃であっても頑張った成果がでて嬉しかったし、もっといろんなことを学んでいきたいという気持ちになってきている。
今度は何を学ぼうか…今から考えている。
保育士証が届き次第試験の総括をしていきたい。次回が保育士試験シリーズラストになりそうである。

ひとり旅

わたしはひとり旅が好きだ。

元々旅行が好きなのだけど、自分1人だからこそ自由さが何倍にもなるのが好きだ。

目的地に着いた瞬間、東京とは違う空気に身体がシュッとなる。場所によっては言葉も違う。全身で感じる空気の違いと耳で感じる音の違いでああ旅行をしている!となる。

何をするにも何を食べるにも誰かに許可を得る必要がないことが楽しい。有名な観光地を巡るのもよし、早々にホテルにチェックインしてお昼寝をするもよし、いろんなお店でちまちまと買い食いをするもよし。とにかく自由。

そして失敗をしても自分1人の責任で自分しか迷惑を被らないことがいいのだ。
ホテルでゆっくりしすぎて電車に間に合うかギリギリの時間になりキャリーケースを引きながら走ったり、あまり美味しくない店に入ってしまいウゲーっとなりながらお金を払って出たり…。それも時間が経てば笑い話になるが、誰かと一緒だとそうもいかない。

今年の秋冬はMISIAさんに会うためにたくさん旅をする予定である。どんな旅ができるのか今からとても楽しみだ。