アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

年齢を重ねる

わたしはこの4月で26歳になる。

ちいさなころは誕生日がくることが楽しみだった。
年齢がひとつ上がることももちろん嬉しかったのだが、それ以上に大好きなお店のケーキに好きなプレゼント、わたしの好物が並んだ食卓にワクワクしていたのだ。
誕生日までの日数をあと何日、あと何日と指折り数えていた。

誕生日が来ることが年々嫌になってきたのはいつからだろうか。多分18歳とか19歳のあたりだった。歳をとるごとに大人になっていく。公的な書類も自分宛に届くようになり、自分で手続きをしなければならなくなっていく。大人としてのプレッシャーが心と身体にズシリとのしかかっていく。
ちいさなころ思い描いていた“おとな”像には程遠いけれど、大人になっていく自分が心底嫌だった。
こんなはずではなかった。「〜歳ならこうあるべきだ」という思いで自分の首を自分できつくきつく絞めていた。


19歳から20歳、24歳から25歳は特に辛く感じた。成人、アラサーという括りに突入したのだということを考えてしまった。こどもの頃はこの年齢になればもっと立派になっていると思っていたのに、こどものわたしのままで身体だけ大きくなった人間にしか思えなかった。誕生日が憂鬱になった。歳を取りたくないと思った。去年の誕生日はコロナ禍と合わさってとても憂鬱に過ごしていた。


今年の誕生日が近づくにつれて、理想の大人になれなくても今のわたしのままでじゃないと考えられるようになってきた。
いろいろ考えて行動できてることも増えたし、自分の凸凹なところをカバーできることも増えた。
それでいいんじゃないか。理想の大人ではないかもしれないが、わたしらしく少しずつ大人になっていければいいのではないか。去年よりひとつでも成長したことがあればそれでよい。そう思った瞬間に年齢を重ねることについての怖さがなくなった。


ひとつでも何か成長があればよいのだ。26歳のわたしは25歳のわたしから何が成長してどのように生きていくのだろうか。自分でも予想がついていないが、とても楽しみなのである。