アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

わたしと赤い公園

2020年10月19日
わたしは病院に行くために仕事を早退して、病院に向かうバスの中でTwitterを見ていた。赤い公園という単語がタイムラインにたくさん流れてきて何かあったのかな?と思って検索をかけた。数秒後「津野米咲 死去」という文字が目に入った。
ぐらっとあたまの中が揺れて、視界がゆらゆらし始めた。検索する手を止めることができず、ニュースサイトで詳細を見ていた。
頭の中が真っ黒になってフラフラと病院に行き、帰宅後は泥のように眠って考えることをやめた。信じられなかった。あの日からの数日の記憶がほぼすっぽりない。今となっては仕事やプライベートのこともほぼ思い出せない。それほどこの知らせは衝撃的だった。



2012年冬
わたし高校2年、部活を辞めボーッと過ごしていた時に赤い公園に出会った。少し年上のお姉さんたちが、明るさの中に暗さを持った曲たちを生み出していて、わたしは一瞬で虜になった。米咲ちゃんがお休みしていた時期で、YouTubeなどでPVを見ていた。いつかライブに行きたい。そう思っていた。


2013年春〜冬
わたし高校3年、米咲ちゃんが復活してライブが行われるようになった。今更のリリースの発表等々あり、あまりに見たくて親に隠れてやついフェスに行った。ちーちゃん、ひかりちゃん、うたこす、そして米咲ちゃん4人がとってもキラキラして見えた。最前列で赤い公園を浴びるように堪能した。楽しかった。
今更のリリースがあり、タワーレコードに学校帰りに駆け込んだ。米咲ちゃんははにかんだ笑顔でそこにいた。その時なんでかよくわからないけどちーちゃんとハグをしていた。なんでだろう。思い出せない。
冬には音楽特番で流れるjoy!!に励まされた。こんな素敵な曲をつくった人のことが好きなのだとウキウキしていた。



2014年冬〜春
入試が終わり、わたし大学入学。
冬には風が知ってるの発売があった。CDショップを彼女たちが回っていて、タイミングが合い4人に会うことができた。受験が落ちつき、次はいつライブが見られるかとドキドキしていた。
そして機会があり、ライブハウスに約1年弱ぶりに戻ってきた。やっぱり赤い公園が大好きだと思った。
ちーちゃんが私の手をガッと掴み私の頭上で歌っている状況を今でも思い出す。カオス。
ライブオブルーキーやビバラなどにも行っていた。思い出すと楽しかったなぁと思う。

だんだん新しい生活になり、小規模なライブハウスに入り浸るようになった。わたしは赤い公園のライブから足が遠のくようになっていく。音源は出るたびにきちんと聴いて、生活の中に赤い公園が根づいていたのは変わらなかった。
KOIKIやNOW ON AIR、楽しい、canvas…たくさんの日々の思い出が赤い公園の曲と結びついているのだ。


2017年夏
わたし大学4年、将来のことをぼんやりと考えているつもりが何も考えていなかった夏。ちーちゃんの脱退が発表された。辛かった。赤い公園=米咲ちゃんの曲とちーちゃんの歌だと思っていたわたしはかなりのショックを受けた。これから赤い公園はどうなっていくのだろうか…。新たな旅路の曲だと思ったjourneyをずっと聴いていた。


2018年春
将来を決めきれなかったわたし、大学卒業後フリーターになった春。理子ちゃん加入。目が点になる。理子ちゃん…わかい…わたしより若い…と思った。ちーちゃんがいた赤い公園が大好きだったから、受け止められるかわからなかった。ただ配信を見た瞬間に、理子ちゃんが入った赤い公園を生で見てみたいなとワクワクしたわたしがいた。

ただ働き出すとライブハウスに行くという趣味と社会人との両立ができるほどわたしが器用ではなく、ライブ自体に行くことが減り始めた。


2020年春〜夏
なんとなく働き出したものの職場との相性も良くなくとても調子が悪かったこの時期。コロナ禍も相まって気分が乗らないことが増えていた。そんな中理子ちゃんが歌う赤い公園が心にピタッとはまった。仕事に行きたくない気持ちが赤い公園を聴くと収まるのだ。ちーちゃんがいた頃の曲、理子ちゃんの曲とコロコロと変えながら聴き続けていた。米咲ちゃんが作る曲がわたしは大好きだと思った。コロナが落ち着いたらまた赤い公園のライブに行くんだ。そう思って生活していた。


そしてあのニュースがわたしの目の前に現れるのだ。


2020年冬
CDJに行くことを決め、準備をしていると赤い公園CDJに出演することが発表された。信じられなかった。米咲ちゃんのいない赤い公園が成立するのだろうか、どんなステージになるのだろうか…と考えた。不安と赤い公園は続くのだという嬉しさ、そして米咲ちゃんのいない赤い公園とはどうなってしまうのだろうという怖さを持ちながら生活していた。
コロナの影響によりCDJが中止になった時、悲しみも大きかったが米咲ちゃんのいない赤い公園を見なくていいのだと少し安心してしまった自分もいた。


2021年3月1日
ネイルサロンの帰りにスマホを見ると、お知らせが届いていた。深く深く深呼吸をしてからページを開くと解散の2文字が見えた。そうだろうなと思った気持ちと悲しさで上野駅の真ん中で立ち尽くしてしまった。わたしの周りの音と色が全て消えた。
帰りの電車の中で赤い公園を聴くと涙が溢れてきた。
公式サイトのこの文面に納得はしたが、やっぱり悔しいのだ。

津野米咲がいない“赤い公園”は、もはや違うものになってしまうのではないか」という想いが大きくなり、
その結果、メンバー3人が赤い公園での経験を糧に、それぞれの新たな道へ進んでいくこととなりました。

米咲ちゃんのいない赤い公園赤い公園ではないということはわかっているからこそ、辛かった。




幸運なことに、わたしは中野でのライブのチケットを購入することができた。ライブにもあまり行かず、決して貢献したファンではないと思う。ただわたしなりの出会ってからの8年半の締めくくりにしたいと考えている。明々後日わたしはどんな感情を持つのだろうか。色々な思いでぐるぐるしている。



米咲ちゃん、大好きです。米咲ちゃんはずっとずっと憧れのお姉さんです。
うたこす、ひかりちゃん、理子ちゃん、これからの3人の人生がより光あふれるものになりますように。