アヒルと琥珀

なんとなーくでいきてるひとがたまに書いてます。

愛するということ

誰かを愛することはきっと欠点を受け入れることなのだと思う。

久しぶりに人間を好きになった。キラキラ輝いて見えた。色々策を練り、ある程度の関係を築いた。ただ、関係が深くなればなるほど欠点が見えてきた。

その欠点をまあいっか!と思えれば、多分そのままうまくいったのだろう。わたしはそう思えなかった。だらしがないな、常識を持ち合わせてないのだな…と思ってしまった。そうしたらキラキラしていたはずの相手が一気にしょぼくれて見えてしまった。大好きだったキラキラした相手だったはずなのに、萎れた人に見えた。上っ面だけのかっこよさを見て恋をしていたと気がついた。

恋の魔法が解けた瞬間をはっきりと自覚してしまった。ああ、これはもうダメだと思った。こんなことは今までの人生でなかった。こんな恋の終わりがあるのかとポカンとしてしまった。

恋をすることと愛することは別物なのだ。
わたしは恋に浮かれていただけなのだろう。だから、相手の欠点が見えていくたびに幻滅していったのだ。そして許容範囲を超えたからキラキラして見えていた魔法が解けたのだと思う。

恋する気持ちはきっと年月を重ねれば、欠点が見えた見えない関わらず少しずつなくなっていくのではないか。その恋する気持ちが消えていっても残るものが愛なのではないだろうか。
きっと欠点さえも丸ごと受け入れたいと思えることを愛というのだ。

お互いが欠点を丸ごと受け入れて、補い合っていくこと。
それが誰かを愛し誰かから愛されることなのだろう。



わたしにはそういう愛し愛され方は絶対無理な気がしてきたぞ…。